【中島輝士 怪物テルシー物語(60)】前回は落合博満さんと過ごしたぜいたくな時間について書かせてもらいました。それは特別なぜいたくだったと思うんですが、日々の練習ですらぜいたくな時間でした。開場してまだ間もない東京ドームを本拠地とする日本ハムでプロ野球選手になり、やらされてる練習もたくさんありましたが、これはプロ野球選手でなければできない貴重な体験だったんです。
ただ、実際にその練習をやっている時に感謝の気持ちが湧かないといけないのに、そんな余裕はありません。私がプロ入り4年目だった1992年にはドラフト2位で三塁のレギュラーになる片岡篤史が同志社大から加入してきました。
当時、ショートには田中幸雄がいました。のちに名球会入りする名選手で91年から背番号を37から6に変えて中心選手として活躍の場を広げていきました。チームとしてまだ若かった田中幸雄、中島輝士、片岡篤史の3人を中心打者に育てようと強化指定選手に指名してくれていたんだと思います。
この3人の背番号は田中が6、中島が7、片岡が8と並び番号でした。午後1時には誰もいない東京ドームで早出の打撃練習がこの3人で始まります。チーム期待の打者がそろって東京ドームで打つわけです。あんな特別な空間を貸し切りで練習させてもらえることが、どれだけ幸せなことだったか。それは現役を辞めた今でないと気付けないんです。
92年、私は自分では納得はしてないですが自己最高の成績を残すことができました。チームは補強の目玉としてMLBからドジャースの強打者であったマイク・マーシャルを獲得し4番に据えました。ルーキーの片岡が三塁にハマったことにより、私は一塁に回り、それまでに心の中にあった三塁守備での不安が解消されました。前年まで外野を守っていて守備に難があったマット・ウインタースはDHに入ることでバランスは良くなったはずです。
しかし、そのマーシャルが期待外れでうまくいかなかったんですが…。マーシャルは196センチ、100キロの大型選手で一塁と外野を守れるということで入団してきました。ドジャース時代の85年には打率2割9分3厘、28本塁打、95打点を記録しメジャーでも主軸を担っていました。
就任1年目の土橋監督も期待していたでしょう。ただ、私はキャンプでマーシャルの体を見た時に疑問を感じていました。もう太ってしまっていて全盛期のパフォーマンスはできないだろうと直感的に思いました。
4月4日に行われた西武との開幕戦(西武球場)では4番・右翼でスタメン出場し2回に工藤公康から来日初打席、初安打、初本塁打、初打点となる右越えソロを放ちました。外国人選手史上12人目の初打席初本塁打と華々しいデビューを飾りましたが、長くは続きませんでした。
7月以降は4番からも外れ67試合で9本塁打、26打点に終わりました。このシーズンはいろんな歯車がかみ合わずに8月まで3位だったチームが9月以降に7勝20敗1分けと崩れ5位。土橋監督は1年で退任です。最下位のロッテとは0.5差でした。












