【中島輝士 怪物テルシー物語(49)】1989年4月8日は東京ドームに南海からダイエーとなったホークスを迎えての開幕戦となりました。日本ハムの開幕投手は西崎幸広、ダイエーは山内孝徳さん。スコアボードには懐かしい名前がずらりと並んでいました。

 日本ハムのオーダーは1番中堅に同期入団のルーキー・鈴木慶裕が入り、2番二塁は名手の白井一幸さん、3番指名打者・イースラー、4番左翼・ブリューワ、5番一塁・大島康徳さん、6番遊撃・田中幸雄と続きます。そして7番右翼には私、8番捕手・田村藤夫さん、9番三塁・古屋英夫さんという布陣です。

 ダイエーは1番中堅・佐々木誠、2番遊撃・小川史さん、3番二塁・バナザード、4番一塁・アップショー、5番右翼・山本和範さんなど個性的なメンバーがそろっていました。

 先制したのは日本ハムでした。2回にブリューワの死球、田中幸雄の右前打で一死一、三塁とし私にプロ初打席が回ってきました。結果は引っ掛けての三塁ゴロでしたが、本塁への送球が高くそれて1点が入りました。これを公式記録員が三塁の失策ではなく野選と判断し、私にプロ初打点が記録されました。

 5回のダイエーの攻撃では代打でプロ初打席に立った広永益隆の逆転3ランが飛び出し、一度は逆転を許しました。それでも、その裏には私のプロ初安打となる左翼への二塁打が出るなど1点を返し反撃。1点ビハインドの6回はイースラーのソロで同点に追いつくという接戦になりました。

 そして9回です。4―4の同点で1死一塁という場面。私は2ボール1ストライクからの4球目、インハイに抜けてきた変化球を強引に引っ張りました。見逃せばボールだったかも分かりません。打球はライナーで左翼席最前列に飛び込むサヨナラ2ランとなりました。これで6―4の勝利です。

 56年の穴吹義雄さん以来、33年ぶり史上2人目のルーキーによる開幕戦のサヨナラ本塁打ということでした。それにしても、山内さんはあの投球が131球目ですからね。内容的にも被安打わずか4ながら6失点。味方の西崎も完投して勝利投手になっていますから、今の野球とは随分と違うんだなということが感じられます。

 華々しいデビューではありました。しかし、私にとってあのホームランはプロとしてやっていけるという確信を持てたようなバッティングではありませんでした。私からしてみればたまたま打てただけです。その後も近藤貞雄監督に使ってもらい試合には出ていましたが、6月中旬ごろから成績が徐々に下がってきました。

 やはり、ペース配分というものができていなかったと思います。長丁場のペナントレースを戦う上での調整というものを理解してはいなかったのでしょう。そんなタイミングで痛いケガを経験することになります。開幕して3か月が過ぎようとしていた7月2日の西武戦でのことでした。私は左手の甲に死球を受け骨折してしまいます。ここからギアを上げないといけない時期に全治3週間の故障です。このケガは痛かったですね…。