【中島輝士 怪物テルシー物語(44)】1988年ドラフトで日本ハムから1位で指名していただき、私のプロ入りが決まりました。ドラフト当日は11月24日だったのですが、その2週間ほど前の11月12日に、私はかねて交際していた女性と結婚式を挙げました。今でも支えてくれています私の妻との挙式、披露宴を職場でもあった新高輪プリンスホテルで行いました。

 妻はハープ奏者だったもので、料理長にお願いしてハープをかたどったウエディングケーキを作っていただいたり、いろいろとお世話になりました。実は妻の父は都内で警察署長を務めていました。警察関係者の間では名前の通った存在でした。そういう経緯もあり、私はドラフト後、新居が決まるまで義父の力添えもあり、品川区にあった物件に居候させてもらっていました。寮生活はしていません。

 結婚式には、そうそうたる面々に列席していただきました。ソウル五輪出場のため、プロ入りせずアマ球界に残れと連日にわたって説得された山本英一郎さんにも出席していただきました。さすがに西武グループ総帥の堤義明さんは来られませんでしたが、招待状は出させてもらいました。しかし、堤オーナーが本当に来られていたとすれば、えらいことになったでしょうね。みんなに気を使わせまいと出席を辞退していただいたんだと思います。

 主賓は山本英一郎さん。そこから高校時代の恩師・柳川高監督の福田精一さん、ソウル五輪日本代表監督の鈴木義信さん、プリンスホテルの石山建一監督と日本球界の重鎮が続くわけです。その先輩方のあいさつが、まあ長いのなんのって。どの顔もちゃんと立てないといけないですから仕方がないのですが、心の中では「早くして~」と思ってしまってましたねえ(笑い)。

 自分の職場であり、数々の宴会などを経験させてもらった新高輪プリンスホテルの宴会場といえば当時は東洋一と言われていました。私が勤務していた時代には、八代亜紀さんや五木ひろしさん、松田聖子さんらのディナーショーを上司の許可をいただいた上で“職権乱用”で見させてもらってました。

 新高輪プリンスホテルが開業した82年の頃には阪急に入団した藤井康雄と一緒に駐車場の案内係をやりましたね。西武ライオンズが優勝した時なんかも、東京プリンスホテルで駐車場の案内係をさせてもらいました。体も大きくて体力もありますから。その特徴を存分に生かして一生懸命に案内させてもらいました。

 結婚した後には大磯プリンスホテルのプールサイドの特等席をとっていただいて、花火大会を絶好のロケーションで見せてもらったこともありました。プリンスホテル野球部に所属していただいた時代には、それぞれのホテルの総支配人の方々に「中華食べていけ」、「ステーキ食べていけ」などと、自分の息子のようにかわいがってもらいました。

 当時は芸能人の結婚式をプリンスホテルで盛大に行うのが、トレンドになったこともありました。時代も景気も良かったですからね。今ではいい思い出です。