【中島輝士 怪物テルシー物語(43)】1988年のソウル五輪を戦い終え、いよいよ私はプロへ進むことになります。その時の私の心境はもう、プロに行けるなら年齢的なこともありますし、どこでもプレーさせてもらいますという気持ちでした。

 実際には福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズが1位指名をしてくれることになるんですが、私は佐賀県出身で福岡の高校を出ていますし、もう結婚が決まっていた妻は東京出身なので東京ドームを本拠地としていた日本ハムでも、どちらでもありがたい気持ちで入団するつもりでした。

 ソウル五輪で一緒に戦ったメンバーも多く指名されました。西武1位の渡辺智男(NTT四国)、同2位の石井丈裕(プリンスホテル)。ヤクルト3位の笘篠賢治(中大)、オリックス2位の小川博文(プリンスホテル)、広島1位の野村謙二郎(駒大)、巨人1位の吉田修司(北海道拓殖銀行)、近鉄1位の米崎薫臣(日本生命)と華々しい結果となりました。

 この年のドラフトは豊作でしたね。ロッテ1位の前田幸長(福岡第一高)は息の長い選手でしたし、横浜大洋1位の谷繁元信(江の川高)はレジェンドです。中日1位の今中慎二(大阪桐蔭高)も記憶に残る投手ですし、同2位の大豊泰昭(中日球団職員)もホームラン王経験者です。

 88年ドラフトは11月24日、東京・飯田橋のホテルグランドパレスで行われた昭和最後のドラフト会議となりました。新高輪プリンスホテルのイメージがありますが、その当時は違ったんです。そしてなんと、ドラフト当日の私は日本にはいなかったんです。

 ちょうど社会人野球のオール関東に選出され台湾に遠征していた時でした。1週間、10日くらい現地に滞在していたのかな。ダイエー・杉浦忠監督と日本ハム・大沢啓二球団常務が重複抽選に臨んで、ドラフト1位で日本ハムが交渉権を獲得したと一報が入った時には台湾にいました。

 で、台湾遠征が終了して、もともとの予定ではそのままチームで香港に旅行に連れていってもらえる予定だったんですね。しかし、ドラフトされたメンバーは直行で日本に帰りなさいと。「えええーっ」と思いましたが、それで羽田空港に帰った時に、現地で会見をしたのを覚えています。正確に言うと、この取材を受けなければ、そんなことも忘れていたくらい遠い記憶です。

 オール関東から6人ほどドラフトされていたのかな。日本ハム2位指名の鈴木慶裕(日本石油)も一緒にいたような記憶があります。台湾にはつくづくご縁がありますね。高校の時も遠征させてもらって、2012年には統一ライオンズの監督もさせてもらった。その時、台南球場を見て「どこかで見たことある景色だな」と思ったら過去にプレーしていたからだったなんてこともありました。

 会見では何を話したかなんて、全く覚えていませんね(笑い)。