【中島輝士 怪物テルシー物語(40)】名門といわれた社会人野球チーム・プリンスホテル。ですが、チーム発足から4、5年のあたりは常勝軍団とはいえない状況でした。そこに、社会人野球界のレジェンドと言ってもいい2選手が所属チームの休部という事態が発生し、移籍という形で加入してきました。
それが右投手の鈴木政明さん、右の強打者・中本龍児さんでした。アマ球界の実力者が加わった結果、プリンスホテルはガラリと変わりました。以前は本当にあまり練習熱心なチームとはいえず、それがそのまま結果に出て勝てませんでした。都市対抗に出場はできても上位に行くことができませんでした。
先輩2人が加入した頃、寮の横に室内練習場が建設されました。以前はグラウンドで練習して、それが終われば終了という状態でした。だいたい9時から13時までですね。会社の業務に出勤もしませんから、それで一日が終わりです。
ですが、室内練習場ができてから、朝には弁当持って練習に出て午前から午後にかけて全体練習。そして、寮に帰ってくると練習場の取り合いです。いい意味での競争が生まれたのは間違いなかったですね。とにかく練習をしよう、自分たちで考えて練習をしようと。そうして自主的に練習する力があれば伸びるんだという意識が広がりました。どの社会人チームでも同じような練習をしているとは思いますが、それプラス個人練習というのが充実していました。個人が力をつければ、チームの力も上がります。
都市対抗20年連続出場の鈴木さん、全日本4番の中本さんがプリンスホテルに影響を与えた。それは間違いないです。私も全日本に選出され、4番として役割を果たしてチームに帰ってきたならば、恥ずかしいことはできないという思いで練習する姿から変えていこうと意識を高く持っていました。
朝から夕方まで野球をさせてもらって、室内練習場でも個人練習が可能な環境。さらに寮に戻ってもバットを振ることができます。まさに練習漬けでした。あの環境は今思ってもありがたいなと思います。
プロに選手を輩出して主力メンバーが流出しても、チームに根付いた風土は変わりません。私が在籍した最終年、1988年はソウル五輪でも活躍したメンバーが3人もプロ入りしています。私が日本ハムドラフト1位、石井丈裕が西武ドラフト2位、小川博文がオリックスのドラフト2位。それでも、プロ野球選手が3人も抜けても、その翌年89年には石井浩郎(後に近鉄、巨人など)、橋本武広(後にダイエー、西武)を擁して都市対抗初優勝を成し遂げることができました。
2000年4月、不況によるリストラの一環として同年シーズン限りでの廃部が発表されました。同年は都市対抗に出場することができず、秋の日本選手権には出場することができました。その大会では2回戦でNTT西日本に敗れ、プリンスホテルの歴史が幕を閉じました。本当は復活してほしいんですけどね。












