【中島輝士 怪物テルシー物語(48)】私のプロ1年目、1989年春の沖縄・名護でのキャンプは戸惑いもなくすんなりと入れた印象があります。社会人でそれなりにレベルの高い野球を8年間、経験してきていますし、国際大会でもいろいろな球筋のボールを見てきていますからね。プロの世界を体感して、ものすごくレベルの違うところで背伸びをして追い付かなきゃという気持ちにはなりませんでした。
長年、使用してきた金属バットから木製バットへの順応に苦しんだというふうに過去の報道では言われていますが自分の感覚的にはそこまで苦労したという意識はありません。金属バットだからといって、そう簡単にホームランをポンポン打てるわけでもないですし、完全にバットの芯でボールを捉えれば木製バットでも飛距離は出ますからね。
オープン戦では最優秀新人賞をいただいたんですね。私はその事実をあまり覚えてはいませんが普通に打てた印象があります。プロのレベルに対応できないという不安もありませんでした。自分の想定内と言いますか、順調に結果を出せていましたから、開幕へ向けて大きな不安はありませんでした。
ただ、だからといって絶対に大丈夫だなんていう自信もありませんでしたよ。もう1日、1日を必死に過ごす毎日です。キャンプの1か月なんて、本当にそういう感覚でしたね。そんなペースのままでキャンプ、オープン戦、シーズンと入っていってますから、正直言って1年間の長いシーズンを戦うペースというものは、全くわかってはいませんでした。もう無我夢中でやるしかない状態でした。
社会人野球であれば都市対抗であったり、そういう日程に向けて調整を行っていきます。プロ野球のように半年間で140試合ほどを、一気に駆け抜けるような野球をすることはありません。プロ野球の世界では70%の力をシーズンを通して平均的に発揮できる選手がコンスタントに結果を残すなどといわれます。アマチュア野球はオリンピックなど、その大会で120%の力を出すための調整が大事になってきます。同じ野球ですが、やっていることはかなり違いますよね。
私の1年目は、ちゃんとした数字は覚えてはいないんですけど、オープン戦では打率3割、ホームランも3、4、5本かな? それくらい打ったんだと思うんです。それでも社会人からオリンピックの4番打者としてプロ入りしたわけですから、即戦力でなかったら意味がない。活躍して当たり前というふうに見られる重圧はありましたよ。
他球団の新人がオープン戦でどんな活躍をしているのか。そういうことは全く眼中になかったですね。自分のことで必死でした。本当に自主トレからキャンプ、オープン戦と一気に駆け抜けて開幕戦を迎えることになりました。
4月8日、ダイエーホークスと戦った開幕戦(東京ドーム)には7番・右翼でスタメン出場させていただきました。いろんな野球ファンの方々に今でも「覚えていますよ」と言ってもらうのですが、私はこの試合の9回裏に56年の穴吹義雄さん以来、33年ぶり史上2人目となる新人選手開幕戦サヨナラ本塁打を山内孝徳さんから打つことができました。












