【中島輝士 怪物テルシー物語(46)】1988年のソウル五輪を経て11月にドラフト。そこから仮契約、正式契約、新人選手入団会見など、怒とうのように時間が過ぎていきました。気づけば年末年始を経て自主トレが始まり、2月にはキャンプインです。本当にプロ野球の世界というのはキャンプ、オープン戦、公式戦とドドドッと進んでいきますよね。

 2月のキャンプでは、ソウル五輪4番打者として注目していただきました。社会人時代の実績や年齢的なこともあり当然、即戦力としての期待度は高かったです。テレビ局や新聞社からの個別取材なども入れていただいて、野球評論家の方々からインタビューを受けたりする機会もありました。

 そんな中で88年に近鉄で現役を引退された直後の梨田昌孝さんから取材を受け、打撃でのアドバイスをいただいたことを覚えています。その後から思えば、梨田さんとは長いご縁になっていくのですが、そのお話は改めて後日にさせていただくとして、打撃の話に戻ります。

 梨田さんは現役時代「こんにゃく打法」といって打席内で両ヒジを下げて、体も動かしながらタイミングを取る独特のフォームをされていました。「もうちょっと柔らかく打ってみたらなあ」。そんなふうに助言をいただきましたが、私はどちらかというとグッと力を入れて、ガチンと打つタイプでしたから。なかなか打撃論的な意見という部分では合わせることができませんでした。

 当時、日本ハムの打撃コーチは近藤和彦さんでした。こちらは左打者であり「てんびん打法」という独特のフォームで通算1736安打を記録した名選手です。「てんびん打法」というのは、スイングする際に両手をくっつけず、コブシ2つ分くらい離しながら、頭上でバットを横に寝かせて上下させるという、野球史上まれな個性的な打ち方なんです。

 もちろん、普通の打ち方でも近藤さんは打てるに違いありませんよ。しかし、プロとしてルーキーである当時の私からすれば打撃スタイルがかけ離れ過ぎていますし、私と違って左打者ですから、どうにものみ込めないというのか、合わせることができませんでした。もう一人の千藤三樹男打撃コーチも左、岡持和彦二軍打撃コーチも左打者という…。こればかりはどうにもできなくて、なかなか口にも出せませんし、困っていました。

 もちろん当時の打撃コーチ陣は一生懸命に教えてくださいましたし、何ら人として悪い印象がありません。それでも、現実問題として身近で右打者としてお手本になる人がいないものかと思っていたのですが…。

 目の前にいました。すごい打者が。中日で83年に本塁打王も経験し87年オフに日本ハムに移籍してきた大島康徳さんです。引退後には日本ハムの監督もされた人物です。右の長距離打者で経験豊富なベテランですから、私にとってうってつけの教材です。

 大島さんを師匠のように感じながら、私はルーキーとしてバットを振る毎日を送りました。次回はその大島さんについて、少しエピソードをお話ししたいと思います。