【中島輝士 怪物テルシー物語(58)】プロ4年目となった1992年は後に振り返れば、キャリアハイの成績を残すシーズンとなります。大きな期待を受けながらプロ3年で目覚ましい数字を残すことができず、三塁守備でもつまずいてしまって悩める日々を過ごしたこともありました。3年目のオフには何かを変えないと、という気持ちもあり先輩の白井一幸さんにお願いして自主トレに参加させてもらいました。

 1月の自主トレ期間からを通じて私は福島大学名誉教授の白石豊さんというメンタルトレーナーとの契約を結びました。白石先生は白井さんから紹介していただきました。白石先生はその後、98年に権藤博監督の下、38年ぶりの日本一となった横浜ベイスターズや女子バスケットボール五輪日本代表、2010年のサッカーW杯日本代表の岡田武史監督らを指導。日本ハムでは田中賢介もお世話になっていました。野球だけに限らず数多くのスポーツ選手を指導されてきた実績のある方でした。

 肉体的な強化は鳥取のワールドウィングの小山先生にお世話になり、メンタルは白石先生のお世話になりました。そういうベースがあった上で白井さんとは栃木県のジュンクラシックカントリークラブというゴルフ場で一緒に自主トレを行いました。私としては30歳になるタイミングでもあり、何とかしたいという思いも強かったと思います。

 早朝の4時には起床して5時くらいから練習をスタート。ゴルフ場のお客さんが来る前には練習をしてしまいます。白井さんはストイックでしたね。めちゃくちゃ自分を追い込む。私には持っていないものを持っている人でした。

 練習だけではなく、ヨガやメンタルトレも熱心に行いました。白井さんとバッティング議論をしていた時に、私からすればヒントになることがあって収穫の多い自主トレとなりました。理にかなったスイングというのか、若かりし日にそういうものの基本ベースを教えてもらったのは白井さんでした。

 考え方もいろんな意味で変わって、新たなシーズンに前向きな気持ちで臨むことができました。92年から就任された土橋監督との関係性が悪いはずもなく開幕からスムーズなスタートを切ることができました。開幕は5番・一塁でスタメン出場。その後、打撃好調が続いてシーズン終盤まで3番・一塁で起用されることになりました。

 首位打者争いにも割って入って打率3割4分、3分くらいは打っていたと思います。プロ入り後、初めてオールスターにも監督推薦で出場させてもらい第2戦では安打も記録することができました。そのまま後半戦も打率首位で新聞の打撃30傑の欄が気になりました。大島康徳先輩からは「数字を追いかけるなよ」と注意されましたが、気になりましたね。

 でも、最後の9月に手首を痛めて、あまり試合に出られてないんです。出場しても痛くて、そこから全然ダメになりました。打率も3割を切りました。最終的にはダイエーの佐々木誠が3割2分2厘で首位打者を獲得しました。私は初めて規定打席に到達し打率2割9分、13本塁打、打点66の成績を残しましたが、残念な2割9分でした。悔しかったですね。