【中島輝士 怪物テルシー物語(55)】1988年ソウル五輪で4番打者として銀メダルを獲得した。そういった前評判通りにプロとしてのスタートを切れたかというと、私の想像通りとはいきませんでした。ルーキーイヤーの89年は81試合に出場し打率2割3分3厘、9本塁打、24打点という成績。夏場に左手首を骨折したとはいえ、自分でも納得してはいません。
2年目は117試合に出場し打率2割5分3厘、11本塁打、50打点という成績でした。初の2桁本塁打を記録し、前年度から比べれば成績は良くはなってはいますが、自分としてはもっとできたと思うシーズンでした。プロに入ってからの2年間はいい滑り出しとはいえず、どちらかというと2年目からコンバートされた三塁守備に適応できず、苦悩が多かった記憶があります。
そんな中ではありますが、アマチュアの世界からプロ野球の世界に入ってきて変化や刺激というものも多くありました。2年目の90年で印象に残っていることの一つは、東京ドームで行われた近鉄戦で目撃した「認定ホームラン」でした。
当時の東京ドームは開場3年目であり、日本初のドーム球場ということで、両翼100メートル、中堅122メートルというメジャー級のサイズにも注目が集まっていました。設計に際しては通算868本塁打で世界のホームラン王と称される王貞治さんの最長アーチを参考に「天井には理論上、当たらない」ようデザインされていました。
ところがです。6月6日に行われた日本ハム―近鉄の4回表、近鉄のラルフ・ブライアントが角盈男さんから放った打球は屋根に向かって一直線。そのまま地上43メートルの高さにつり下げられたスピーカーを直撃しました。当たった打球は右中間を転々。東京ドームの特別ルールによりホームランとジャッジされました。
ブライアントは前日にも天井を直撃する打球(二飛)を記録していて設計者もびっくりしたでしょうね。もし、スピーカーを直撃していなければブライアントの打球の推定飛距離は160メートルとも170メートルともいわれています。昨年の4月に巨人・岡本和真が東京ドームの天井部にあるスピーカーの上に打球を乗せる認定二塁打を打っていましたね。これが近鉄・ブライアント以来、34年ぶりのスピーカーに届く打球だったそうです。
私の話に戻しますと、プロとしての滑り出しは、周囲の期待に応えられないもどかしさの中でプレーしていた記憶が多かった気がします。期待されていることも重々、分かっていました。入団時から監督だった近藤貞雄さんは「あーしろ、こーしろ」という指導方法は取らずに私のことを大人扱いしてくれました。三塁へのコンバートも華やかなサードで開花させたいという期待の表れだったはずなのですが、うまく歯車が合わずに悩ましい日々を過ごしていました。












