【中島輝士 怪物テルシー物語(56)】日本ハムに入団して3年目となった1991年、私は著しく成績を落としてしまいます。111試合に出場しながら打率は2割1分9厘、7本塁打、27打点という数字が残っています。何というんでしょう。2年目に三塁守備でライナーを顔面に受け、左眉の下を10針縫うケガをしてしまった。そのトラウマというのか影響が残り続けていたんだと思います。

 元来、守備に関して苦手だなという意識はありませんでした。抜群にうまいわけではないですが、下手ではなかったと思います。気持ちでは不安というのはないんですが、体が勝手に反応してライナー性の打球が飛んでくると体が固まってしまう。そういう心理的なものが影響してか、打撃にしてもその他のプレーにしても何かが狂ってきたのは確かだと思います。

 中堅、右翼、一塁での経験はアマチュア時代から豊富でプロでも不安はありませんでした。ですが、グラウンドの左サイドにあたる三塁、左翼に入るとゴロでもフライでもライナーでも打球のキレる方向など、感覚の違いを理解していながらもミスを犯すんではないかという不安な気持ちが胸に浮かぶわけです。

 2008年に行われた北京五輪の日本代表として出場した元西武・GG佐藤選手が五輪本番でつらい経験をしたことを覚えているファンの方々も多いのではないでしょうか。パ・リーグ公式戦では普段、守っていた右翼ではなく五輪本番では星野仙一監督に左翼手として指名を受け試合出場しています。その大会では準決勝の韓国戦で3失点に絡む2失策、3位決定戦となった米国戦でも3失点に絡む落球を犯すなど、まさかの事態に襲われました。

 みんなが注目する五輪の晴れ舞台で3失策によりメダルを逃した事実。慣れない左翼だったから、とかばってくれるのは身内だけでしょう。その後のメンタル的なダメージは相当だったはずです。新聞が視界に入れば「EE佐藤」などと大きな見出しが目に入ります。もちろん、私のプロ2、3年目の時とは立場も状況も違うので一概には言えません。それでも、私には佐藤選手の気持ちが分かる気がします。

 それにしてもGG佐藤という人物は大したものですよね。とんでもないトラウマを克服して、今ではあの北京での“事件”をネタにして、失敗を怖がらない大切さを説いていますからね。8月上旬に行われたサントリー・プレミアムモルツ・ドリームマッチでのエキシビションゲームではしっかり、イージーな左飛を落球してスタンドから大爆笑を買ってました。素晴らしいメンタリティーだと思いますよ。

 私の話に戻ります。ソウル五輪の4番を張った銀メダリスト、即戦力を期待された大型選手がいまだ開花しないとなると、会社はどう動くでしょうか。私は守備を売りに入ってきた選手ではありませんから、打撃に磨きをかけるしかないわけですが、期待され続けて待ってくれる球団なんてありません。

 ポジションがかぶるところに即戦力を期待するルーキーや、強打の外国人野手を補強します。本当の意味でのプロ野球の怖さを、この頃から実感し始めたのかもしれません。