【武藤敬司の軌跡(33)】 W―1が2020年4月で活動を休止し、フリーになった。そのタイミングで相思相愛になったのが、プロレスリング・ノアだ。ちょうど1月にサイバーエージェントの傘下になっていてね。多分、人材不足の状況だったんだよ。それでうまいことお互いに合った。
当時は日常に「新型コロナウイルス」という言葉が出てくる変革期だった。無観客で試合をして、それをインターネットで配信をするようになってね。その点、ノアはそういうツールを持っているオーナーだから。「今からはこういうところじゃなきゃ勝てねえだろうな」と思ったよ。
無観客なんて三十数年プロレスをやっていて初めてだから新鮮だったよ。ぶっちゃけ、カメラの映らないところは何していたって許されるからさ。その利用も考えた。清宮海斗とも絡むようになったね。ノアは俺に対して「清宮を戦いながら育ててほしい」という期待があったのかもしれない。だから一生懸命に対応したつもりだよ。
21年2月12日に潮崎豪を倒してGHCヘビー級王座も取った。シングルのグランドスラム達成はうれしいし、ヒザを人工関節にして新たな実績を作ったのはデカかった。この試合が東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」でベストバウトに選ばれてね。俺の中で誇りに思えることだった。この試合で出したフランケンシュタイナーだって昔みたいにパーンと跳んでるんじゃなく、首に脚をかけてやっと抑え込んでいる。改めてプロレスはワビサビも重要だなという認識になったよ。
そして3日後にノアに入団してね。話を最初にもらった時は、一つの評価だと思ってうれしかったよ。それにW―1とか全日本の時と違って「レスラー」としての契約だったからさ。肩が軽かった。結果的に引退まで選手に集中させてもらってね。だから作品もそこそこ残せたんだと思う。
そういう意味で賛否はあれど、同年6月の丸藤正道戦でムーンサルト・プレスを飛んじゃったりもしたよな。18年に両ヒザの手術を受けた時、主治医の杉本和隆先生から禁止されてね。手術前に「ラスト・ムーンサルト」で大会もやったからウソをついたという罪悪感はあったよ。ファンだけじゃなく医者や女房にも黙ってやっちゃったからさ。ただ、自信はあったんだ。こっちだってムーンサルトのプロだからさ。長年「落ち方」とも研究していたから。ただ、怒られたよ(苦笑い)。
あえて飛んだ理由? 勝つのに必要だったからだ。あとはチャンピオン像としての美しさだよ。それを考えた時に必要だと思ったんだ。結果は負けちまったけどな。この時はそういう判断ができるくらいに充実していたんだ。だけど、この後また風向きが変わってな。11月に丸藤と組んでGHCタッグも取るんだけど、また脚の調子が悪くなるんだ。













