【武藤敬司の軌跡(32)】W―1のころにはヒザがどんどんしんどくなっていってね。たまに出る試合でもギリギリの状態でやっていたんだ。
そんな中、2017年秋にBSジャパンの「プリズンホテル」っていうドラマにゲスト出演する機会があった。その共演者が昔K―1で活躍していた武田幸三でね。俺の脚を見て「いい先生がいますよ」って、後に両ヒザの人工関節置換手術をしてもらうことになる杉本和隆先生を紹介してもらったんだよ。
それまでも人工関節の相談で別の病院に行ったことはあったんだけど、どこも「手術を受けたらもうプロレスはダメだよ」って言われてね。ところが、杉本先生は「プロレス、できると思いますよ」って言われて即、手術を決めたんだ。
手術は18年3月末。その前にW―1で武藤敬司として「ラスト・ムーンサルトプレス」って告知した試合を後楽園ホールでやったんだ。杉本先生から「人工関節にしたら、試合はいいけどムーンサルトはダメ」って言われていたからさ。技を封印することへの迷い? 選手生命を絶たれるよりいいじゃん。実際、人工関節にしてなかったら痛みに耐えられなくて、もっと早く引退していたと思うよ。
リハビリは1年かかったよ。人工関節にしてからヒザは痛くなくなったんだけど、代わりにほかの所が痛くなっちまったんだ。可動域がそれまでより広がったからさ。ジムでスクワットしたら深く曲げすぎてヒザの皿が(人工関節の)機械とぶつかって真っ二つに割れちまったんだよ。それで時間をロスしちゃったこともあった。
今、恐れているのは「機械は壊れないけど骨は壊れる」ってところだな。引退後も運動とかしないで骨が細くなってきたら機械とサイズが合わなくなるから危ないんだよ。だから俺は引退後も運動して健康でい続けないといけないんだ。
で、19年4月にグレート・ムタが米ニューヨークで復帰してね。俺は6月26日の長州力さんの引退試合で復帰した。手術前との違い? 親からもらったヒザとは違うから、大変さはあるよ。可動域は違うし。若干の違和感はどうしてもある。
W―1の活動休止が決まったのが、その年末だった。赤字の会社だったから、オーナーに「もうお金を出すのをやめます」って。しょうがないよ。ただ、先見の明ではないけど、持続していたらえらいことになったんじゃないかな…。まだ存在も知らなかったけど、20年から新型コロナウイルス禍になったから。みんなには「来年の4月で終わり。一生懸命頑張ったけど黒字転換できなかった」っていう話をしたと思う。
そして俺はこの後、久々に一選手としての活動に集中することになる。














