【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(10)】1990年8月にFMW女子に入ると宣言しました。これから一緒に盛り上げていく仲間の一人になり、女子の人数も増えていきました。一時は男子より女子の方が多くなったほど。新人に最低限の礼儀、あいさつや仕事の流れなどを教えましたが、全日本女子プロレス時代ほどは厳しくなく、もちろん「集合」もありません(笑い)。

柔道世界3位テレチコワの裏投げで宙を舞う
柔道世界3位テレチコワの裏投げで宙を舞う

 その中にバッドナース中村、岩見敬子(キラー岩見)、鍋野ユキエらがいました。当時「女子のレベルアップ」しか頭になく目標は「男子を超えて女子がメインイベントを取る」。FMWは大仁田さんあってのもの。その図式は変わりませんが、女子を少しでもメインに近づけるように…そのテーマとの「戦い」でした。そこはコンバット豊田とも共通認識で宿泊先では2人で今後について話をしていました。

 ただ、試合をするメンバーはいつも一緒で「果たしてこれでいいのか」。自分らは成長できているか? なれ合っていないか?との疑問がありました。そういう状況であった豊田とのシングル戦は毎回「前回を超える内容で」と臨んでいました。ある時、大仁田さんに「豊田と工藤の試合はほぼ完成形に近いな」と言っていただきました。それはすごく覚えています。豊田とはストリートファイトマッチで戦っていましたが、私の中ではデスマッチという感覚はあまりありませんでした。

 外国人選手も充実してきました。柔道で活躍された(グレゴリー)ベリチェフさんが参戦されて「実は(ソ連の)女子にもすごい選手がいるよ」という話があって、グンダレンコ・テレチコワ選手(※)と91年9月23日の川崎球場大会で「女子異種格闘技戦」として一騎打ちしました。

 初見からあまりの大きさ(195センチ、125キロ)に驚いて「この人と戦ってどうやって勝つんだ」と。テレチコワ選手は柔道の技だけを使っていましたので、私はあえてそのスタイルに合わせつつプロレス色を出さないといけない、と思っていましたが…体もスピートも違っていて、気づいたら投げられていました。裏投げから腕ひしぎ逆十字固めで負けましたが、よく戦えたなと思います。

 マグニフィセント・ミミ選手は自分の世界観を持って際立っていました。当時団体内の選手としか試合をしていなかった私はミミさんと連戦しましたが、FMW女子にないアメリカンスタイルで楽しかったです。セクシー路線でリングの外でもそのままの方でした(笑い)。米国で築き上げた「私はスターよ」という自信を持たれていて確固たるものがありました。

セクシー系レスラーのミミ(右)と対戦(90年5月)
セクシー系レスラーのミミ(右)と対戦(90年5月)

 私はミミさんと一緒に雑誌の撮影をしたこともあります。グラマラスでセクシーな体形のミミさんと「何でお子さま体形の私が…」と思いましたけど(笑い)。

 ※ソ連の柔道家。93年世界選手権3位、95年にはMMA戦に挑戦し、神取忍を肩固めで下した。

 

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