【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(5)】全日本女子プロレスではジャガー横田さんから指導を受けました。その練習量はすごかったです。朝から基礎体力づくり、受け身、技などをやり、お昼を挟み、午後も同じ練習です。日によって柔道の町道場、レスリングの練習にも通いました。定期的に山崎(照朝)先生の恐怖の合宿もありました。練習生時代は一日ずっと練習で、1986年8月にデビューした後も朝から試合に向けてバスが出発する直前まで練習でした。

レスリング合同練習で神取忍(右)と肌を合わせるジャガー(87年9月)
レスリング合同練習で神取忍(右)と肌を合わせるジャガー(87年9月)

 中でもレスリングの練習は本当に苦手というか嫌いでした。まず、練習場に入るとマットの独特のにおいで具合が悪くなってしまうんです。私は三半規管が弱かったので、前転をすると気持ち悪くなって吐いてしまう。でもレスリングの練習はそこからスタート。吐き気が止まらないので休憩を取りながら何とか最後までたどり着いていました。ただ、プロと名がつく以上、練習で具合が悪くなるのはとても恥ずかしく、嫌でした。レスリングの経験がない私たちは木名瀬(重夫)コーチから徐々に技術を教わっていったのですが、ジャガーさんだけは別格。レスリングの技術もすごかったですね。

 87年の女子レスリングオープントーナメントと天皇杯全日本レスリング選手権大会にも出場しました。65キロ級で3位に入りましたが、運が良かっただけです。覚えているのはポイントで負けていて、応援に来てくださっていた松永兄弟(※)ら会社の方からガンガン怒られました。最後10秒くらいで押さえ込みが決まり逆転勝ち。松永(高司)会長に「負けると思ったけど、諦めずによくやった。根性が良かったよ」と褒めていただきました。普段なかなか褒められることはありませんから、すごく印象に残っています。でも天皇杯準決勝では1つ下の後輩、豊田真奈美選手に負けてしまい、悔しくて。表彰式の時には「早くこの場からいなくなりたい」と喜べませんでした。

 ジャガーさんが常日頃おっしゃっていたのは「先輩だから負けて当然とかそういう意識は捨てなさい。リングに上がったら先輩も後輩もないんだよ」ということでした。私が初めて先輩から勝利したことを知ったジャガーさんが、同期の中で最初ということで、ジャガーさんの得意技ヒップアタックをプレゼントとして伝授してくださりました。ジャガーさんからいただいた技だったので、失礼のないようにものすごく練習しました。

工藤(手前)のヒップアタックはジャガーからのプレゼント(87年8月)
工藤(手前)のヒップアタックはジャガーからのプレゼント(87年8月)

 引退するまで使い続けたヒップアタック。なんてすごい技なんだろうと改めて思います。地方の会場や初めてプロレスを見るお客さん、ヒップアタックを出すとものすごく沸きましたから。

 ※当時の全女は健司氏、高司氏、国松氏、俊国氏の「松永四兄弟」が経営していた。

 

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