【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(1)】1990年代のプロレス界を華やかに彩った工藤めぐみ(56)の連載「邪道姫伝説」がスタート。Netflixのドラマ「極悪女王」で話題となった全日本女子プロレス時代から、数々の危険なデスマッチに挑んだFMW時代、そして最愛の人との別れ。デビュー40周年を迎えた「くどめ」が波瀾万丈のプロレスキャリアを振り返る。

 1969年に埼玉県で生まれました。ただ埼玉での記憶はなく、育ったのは千葉。全日本女子プロレスに入った際に、そのことを話したら「千葉でいいじゃん」と。それでパンフレットに「千葉県出身」と載ったので、そこからずっと「千葉県出身」です。

 小学時代に市川市、中学時代は白井市に住んでいましたが、泣き虫で甘えん坊でした。幼稚園では親から離れると大泣きしていたので、私だけ保健室に預けられて、保健の先生と一日過ごしたほど。半年くらい続き、それくらい親から離れられない子でした。

憧れだったクラッシュ・ギャルズ(86年)
憧れだったクラッシュ・ギャルズ(86年)

 そんな私を変えたのは、小学4年生から始めたバスケットボールです。学校の部活ではなく、社会団のクラブでしたが、そこに入って性格もがらりと変わって積極的になりました。父親は極真空手をやっていたので毎日稽古しており、空手関連のいろんなものが周りにあって、格闘技が身近にある環境でした。それでプロレスが大好きになってずっと見ていました。

 子供の頃は男子プロレスのファンだったので、ロード・ウォリアーズを見て本当に怖くて…。テレビの前で震えていたくらいでした。藤波(辰爾)さんの試合も見ていたし、(初代)タイガーマスクさんのジュニアの頃の試合も印象にあって、その中で全日本プロレスのジュニアだった大仁田(厚)さんも見ていました。大仁田さんがトロフィーで殴られたこと(※)がすごく印象に残っていて、初めて大仁田さんにお会いした時は、「あのトロフィーの大仁田さんだ」と思ったくらいでしたから。

 初めて観戦に行ったのは女子プロレス。会場は鎌ケ谷市民体育館でした。15歳になって「自分が将来何になりたいか」と進路を考え始めた時に、大きな影響を与えられたのがクラッシュ・ギャルズさんです。「私はこうなるんだ!」と大きな道しるべをつくってくれました。一番良きタイミングで憧れのクラッシュ・ギャルズさんが出てきてくださったことで、私の人生のスタートが切れたようなものです。

 バスケット少女だったので、高校に行ってバスケをする選択肢もありましたが、やっぱりプロレスでした。本当にプロレスが好きだということを親も日常的に知っていたし、まさか自分の娘がオーディションに受かると思っていなかったので、必要だった承諾書も軽く書いてくれました。頭の中はレスラーになることしか考えていなかったので、85年1月15日、全日本女子プロレスの新人オーディションを受けることになりました。ところが…。

 ※82年11月4日後楽園大会で大仁田はジュニア王座を防衛後、挑戦者のチャボ・ゲレロにトロフィーで乱打され腕に23針の重傷を負った。