【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(4)】私たち同期「61年組」は、みんな仲が良かったと思います。中でも宍戸江利花、後のアジャコングとは同室で2段ベッドの上下でした。ケンカしたこともありましたが、私が寮を出て初めてアパートに住んだ時、遊びに来てくれてピーマンの肉詰めを作ってくれました。私が部屋に呼んだことがあるのは、同期の(コンバット)豊田とアジャだけだったと思います。何でピーマンの肉詰めだったかは覚えていませんが(笑い)。
でも、先輩方からは「足を引っ張ってでも上がっていくというのが同期。仲良しこよしではやっていけないよ」と注意されました。プロテストに受かって現場に行くようになると、練習はさらに厳しくなりましたが、それ以上に初めて経験する女子プロレス界の縦社会に圧倒されました。
巡業先からの帰りに先輩から「今日、集合ね」と言われたら、バスの中でみんな無言になります。「寮に着かないで、このまま永遠に走ってほしい」と願うくらいでした。「集合」とは寮のダイニングに集められての「ミーティング」です。先輩からの注意は雑用とか言葉遣いとか一般的な社会常識についてなのですが、試合が終わってバスで寮に着いてから、夜が明けるまで続いたこともありました。
「早く終わってほしい」なんて思えません、顔に出てしまうので(笑い)。反発心など持ってしまったら素直に聞けないし、自分たちができないから注意されているので。それが全日本女子プロレスですから、忠実に聞いていました。幸いというか運が良かったというか、私は先輩から手を出されたりとかはありませんでした。
デビュー戦は1986年8月8日、東村山市民スポーツセンターでした。数日前から対戦相手も聞いていたのですが、当日はテレビ収録があり、そこから会場に移動したので本当にバタバタでした。テレビマッチだったので普段より仕事の量が多く、ギリギリまで仕事をしてデビュー戦をやって、また仕事でした。前田薫選手とのデビュー戦は派手な攻防もなくスパーリングのような試合でした。
試合に負けたことは悔しかったですけれど、その時は「早く次の仕事やらなきゃ、セコンドに就かなきゃ」という気持ちでいっぱい。当時の優先順位は自分の試合より仕事でしたから。
練習生でプロテストに受かるまで、先輩たちはみんなとても優しいんです。「工藤さん」「工藤ちゃん」とか呼んでくださったのですが、デビューしたその日からガラリと変わる。それまではお客さん扱いでしたが「プロになったんだからこれまでとは違うよ」と。そこからさらに厳しくなって「これが全日本女子プロレスという社会なんだな」と実感しましたね。













