【プロレス蔵出し写真館】今から40年前の1986年(昭和61年)2月6日、新日本プロレスの両国大会でアントニオ猪木と藤原喜明のシングル対決が行われた。

 前年の12月6日、新日本と業務提携が決まったUWF勢がエースの前田日明を筆頭に両国国技館に乗り込んだ。「この1年半のUWFの戦いが何であったかを確認するために新日本に来ました。試合を見てください」。前田が代表して、そうあいさつした。

 年が明けた1月から、新日本の要求で猪木への挑戦権をかけてUWF選手内でリーグ戦が行われた。2月5日、勝ち上がった前田と藤原が大阪城ホールでの代表者決定戦で激突した。

 グラウンドで藤原にスリーパーホールドを決める前田と、レッグロックで前田の左足をひねり上げる藤原。意地の張り合いを制したのは、失神寸前だった藤原の方だった。大方のファンは猪木と前田の頂上決戦を期待していただけに、館内を微妙な空気が支配した。

UWF代表者決定戦は、前田(奥)のスリーパーと藤原のレッグロックの決め合いで決着(1986年2月、大阪城ホール)
UWF代表者決定戦は、前田(奥)のスリーパーと藤原のレッグロックの決め合いで決着(1986年2月、大阪城ホール)

 さて、6日の両国大会で張り切っていたのは猪木との初対決に〝心躍らせる〟藤原だ。 

 ゴングが鳴るや、コーナーを背にする猪木ににじり寄り、強烈な張り手を見舞った。猪木はナックルパート、ストンピングで反撃して藤原をマットに這わせた。三角絞め、レッグロックからアキレス腱固めを決める藤原。すると猪木は藤原に対して屈辱的な言葉を浴びせた。

「そっちじゃねぇーよ」。猪木の〝まさか〟のダメ出し(写真)。「角度が違う。ひねる方向も逆だ」と畳みかけた。

 エプロンサイドで試合を見つめた前田は、そのシーンを振り返り「プロレスなんて、何でもかんでもやり放題じゃん。それをそうじゃない、こうじゃないってやられたら…それはないだろうって頭きた。カチンときた」と振り返った。

 もっとも、長く猪木のスパーリングパートナーを務めた藤原との一戦は、2人が試合巧者だったこともあり、好試合となった。

 猪木がダブルアームスープレックス。藤原は腕ひしぎ逆十字固めからワキ固め。猪木が藤原のお株を奪うヘッドバット。藤原はワキ固めで形勢逆転を狙うと、猪木が横蹴り。これが急所近くに当たり、藤原が悶絶する。

 前田がレフェリーに抗議したものの、猪木は構わず攻撃を加え、頭突きで反撃に出た藤原のアゴに右ストレート。フラフラと立ち上がった藤原に裸絞め。失神寸前の藤原を見てレフェリーは即、試合をストップした。この試合以後、猪木の裸絞めは〝魔性のスリーパー〟と呼ばれるようになった。

 終了と同時にリングに上がった前田は猪木にハイキック一閃。「アントニオ猪木だったら何をやってもいいのか?」と〝名言〟を放った。

試合後、前田(右)は猪木にハイキックを見舞った(1986年2月、両国国技館)
試合後、前田(右)は猪木にハイキックを見舞った(1986年2月、両国国技館)

 前田は「猪木さんから『オレを蹴って来い』と言われてたから〝じゃあどこでもいいんだろうから、アゴを蹴ってやろう。アゴに思い切り当ててダウンさせてやろう〟と思った。そしたらピョンと跳び上がって首で受けた。とっさに、猪木さんはアゴに来ると思ったんでしょうね。そのまま当たったらダウンしちゃうなって…」と明かす。

 そして「普通だったらその時点で避けるじゃないですか。それはちょっと自分の中ではビックリした。オレの敵意を自分のプロレスの中に取り込んで、何もなかったように収めちゃうみたいな。そこまでして受けを取ろうとするんだと思ってビックリした。それすごいなと思いました」と、改めて当時を回想した。

 ところで、前田と初代タイガーマスク(佐山サトル)がゲスト出演する藤原の「喜寿イベント」が4月25日に開催される。3人揃ってのトークショーは初だろうか。

 前田は「UWFやってる最中に1回あったかな。解散後は初めてですね」と教えてくれた。

 4月27日に喜寿を迎える藤原は、まだまだ現役を継続中だ(敬称略)。

【藤原喜明喜寿イベント】4月25日(土) 14時半~16時半(開場13時半) 住友不動産ベルサール西新宿8F特設会場(新宿区西新宿4-15-3) ※チケットは残りわずか【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る