【プロレス蔵出し写真館】「14歳のとき以来の坊主頭だよ」。坊主頭にしたわけを聞かれたアントニオ猪木はそう告白した。

 今から40年前の1986年(昭和61年)5月21日、新日本プロレスの「IWGPチャンピオンS」が茨城・日立市池の川中央体育館で行われた。

 遅めに会場に到着した猪木は、なぜか帽子(新日プロのグッズ)をかぶっていた。〝ん? 帽子?〟。そう思うほど猪木の帽子姿は非常にレアだった。

 猪木が笑顔で帽子を取ると、坊主頭が現れたのだ(写真)。

 坊主頭にした理由を聞かれるのが面倒だったのか、猪木はトレーニングウェアになると、会場隣の陸上競技場へ向かいランニングを開始した。直線距離をダッシュして入念に走り込む。何投かヤリ投げも披露した。 
 
 リングに上がると藤原喜明と軽めのスパーリング。山田恵一や松田納らを指導し、合同練習に参加していたUWFの安生洋二の補助を受けて柔軟を行った。その後、第1試合から休憩時間になるまでウエートトレに没頭した。

 さて、猪木の頭を見たレスラーの反応も、〝いったい何があったのか?〟というもの。高田伸彦(後の延彦)はあっけにとられ、前田日明は「あれま!ス、スゴイ」と扉の外からのぞき見する。

「ホワッツ・ハプン・イノーキ?」。ディック・マードックがブラック・キャットをつかまえ事情聴取。マスクド・スーパースター、ケリー・フォン・エリック、アンドレ・ザ・ジャイアントも猪木の〝イガグリ頭〟に困惑していた。

 セミファイナルでクラウス・ワラスを延髄斬りで下した猪木は、試合後マスコミに囲まれ、坊主頭にした理由を語り始めた。

坊主頭の猪木はワラス(左)に延髄斬り一閃(1986年5月、茨城・日立市)
坊主頭の猪木はワラス(左)に延髄斬り一閃(1986年5月、茨城・日立市)

 冒頭のセリフを発した後、「実はやられちゃったんだよ。フォーカスに。それで男のケジメの意味で坊主にした。やましいところはまったくないんだけど、オレじゃなく周りの人に迷惑をかけることになったからね。不覚だよ」と苦笑い。

「フォーカスされる」と流行語まで作られた「FOCUS」は、張り込み取材で芸能人などの密会写真や硬派ネタまで写真をメインにした写真週刊誌で、当時、公称発行部数200万部といわれた。模倣した雑誌も発行され、現在も残っている「フライデー」と「フォーカス」の頭文字を取って私生活を撮られることを「FFされる」とも言われた。

 猪木は3日前の18日、千葉・東金大会終了後に六本木の美人ホステスのマンションを訪問し、マンションから出てきたところを激写されていた。

 見出しは――アントニオ猪木「密会」の夜 六本木ホステスと〝熱愛タッグ・マッチ〟!?――

 猪木は 「(夫人の倍賞美津子に)電話で話したけど、別に気にしていないですよ」と語ったが、翌87年10月に離婚している。

 ところで、坊主になりケジメをつけた猪木は、〝不倫話〟を払拭する活躍を見せる。6月17日の愛知県体育館で腕固めでアンドレから初のギブアップを奪い、6月19日、両国国技館でのIWGP優勝戦ではディック・マードックにジャーマンを披露し、延髄斬りを決めて優勝を果たした。

 当時、猪木の付け人だった蝶野正洋は「オレが知ってるのは、猪木さんとマサ(斎藤)さんの大阪城(ホール=87年3月26日)。あの時、大阪のホテルに女性がいた気配があった。でもその人は後から奥さんになった人じゃないかな…(翌89年6月に一般女性と結婚し、離婚)」

「でも86年87年って猪木さん、もう不倫、遊びが一番ひどい時じゃないですか。その時期遊んでますよね。遊びたい盛りの40、45くらいでしょ(※43歳)。かなり乱れてましたね(笑い)。そういうスキャンダルもありで、離婚もしてるんですよね」(蝶野)

 まさに猪木も〝英雄色を好む〟だったのか…とはいえ、見た人すべてを驚かせた猪木の坊主頭は意外と似合っていた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る