猛牛の意外な〝全盛期〟とは――。新日本プロレス8月15日の東京・両国国技館大会で引退する猛牛・天山広吉(55)と、〝黒いカリスマ〟蝶野正洋(62)が4日、新日本「G1クライマックス」(11日、米国・シカゴで開幕)と、「スターダム「5★STAR GP」(18日、大田区で開幕)に向けたポップアップイベント(京王百貨店新宿店)で、久しぶりに再会した。
1995年にカナダでの武者修行を終え帰国した天山は蝶野と合体を果たし、「狼群団」「nWoジャパン」「T2000」など時代をけん引したヒールユニットで共闘した。〝蝶天タッグ〟ではIWGPタッグ王座を3度も獲得するなど実績を残したが、35年の現役生活を終える天山は「大変お世話になった恩人」と、蝶野に感謝を述べる。では蝶野との共闘で、最も印象に残っている時代はいつか。
天山は「狼群団の時代。蝶野さんがいなかったらどうなっているんだろうというくらい、きっかけになった。あの頃は楽しかったし、自分にとってかけがえのない財産になった」と打ち明ける。95年2月から蝶野&ヒロ斎藤に天山が加わり、共闘をスタートさせた。猛牛は「狼群団」と呼ばれた悪のユニットで一気に頭角を現し、蝶野とのタッグで同年のプロレス大賞の最優秀タッグ賞、96年には蝶野、天山、斎藤の3人でも同賞を受賞した。
蝶野は「天山がイケイケだったとき。長州(力)さん、藤波(辰爾)さん、(闘魂)三銃士だろうが関係なく顔を踏んづけていた。あの勢いはすごかったし、『第三世代』の中でも群を抜いてたよ」と証言する。同じタッグマッチに出場した際には、猛牛を飛躍させるためにリングインする機会を増やしていったという。
さらに当時の天山をこう振り返る。「武藤(敬司)選手、橋本(真也)選手と俺ら三銃士もまだ20代でバリバリ。その上に長州さん、藤波さんとうるさいのがいて、そこに下から上がって来た『第三世代』はどこか遠慮があったが、天山は関係なかった。(仲間の)俺らも関係なく、ど真ん中に突っ込んでいった。俺も見てて『コイツすげえな』と思ったし、周りもみんなそう見ていた。(スコット)ノートン、(ビッグバン)ベイダーとトップどころともバンバンぶつかってたし、タフだったよ」
これに天山は「蝶野さんが後押し、バックアップしてくれたおかげ。好きなように、やりたいようにやらせてくれたから」と話しつつ「あの頃がピークかもしれない」とぽつりと言って、周囲の爆笑を誘った。
天山自ら〝全盛期〟とみているほど心技体が充実。後の「nWoジャパン」や「T2000」で人気爆発したが、そこに至る過程も伝説化している。















