「格闘技世界一決定戦」が1976年6月26日に日本武道館で行われてから、26日で50年を迎える。プロレス王者のアントニオ猪木と、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの異種格闘技戦は、3分15ラウンドを戦い抜いて引き分け。当時は〝世紀の凡戦〟と酷評されたが、後年は総合格闘技の源流として評価を一変させた。伝説の一戦の裏側で何が起きていたのか。

 来日時にアリの身辺警護を担当した小川眞澄氏(74)が、50年越しに証言した。

 アリが来日したのは決戦10日前の1976年6月16日。宿泊先は東京・新宿の京王プラザホテルだった。当時、綜合警備保障(現ALSOK)に勤務していた小川氏は、明治大学農学部に通いながら同ホテルで夜間警備にあたっており、アリが滞在した12日間、41階のスイートルーム周辺で身辺警護を務めた。初めて見た世界的スーパースターの印象を、小川氏はこう振り返る。

「デカいなあと思ったけれど、本当にフランクな人だった。トラッシュトーク? 調印式の時以外は黙っていましたね」

 印象に残っているのはファンへの対応だ。アリは猪木戦に向けた調整として、深夜1時から2時頃にロードワークに出た。その情報を聞きつけたファンが集まり、アリは数十人を従えて走ったという。ホテルに戻ると、待っていたファンも含め全員に気前よくサインした。小川氏にもサイン色紙を4枚プレゼントしてくれたが、小川氏は自身の宿泊先に戻ると、会社の先輩らにねだられ4枚すべて渡したという。後にテレビ番組でアリの直筆サインが鑑定され「20万円でした。私は80万円をあげてしまった」と笑う。

 もっとも、ホテル内の空気はのどかなものばかりではなかった。アリは当初、猪木戦をエキシビションのようなものと考えていたとされ、試合形式やルールをめぐって調整は難航。小川氏は部屋の前で待機しながら、関係者が何度も出入りする様子を見ていた。

「プロモーターの方が当日まで『試合ができない』と困っていました。アリの部屋に入っては出て『弱った、弱った』って言ってましたね」

 そんな緊迫ムードの中、6月23日に同ホテルで行われた調印式では〝事件〟も起きた。猪木の言動にアリが激高。場内が騒然となり、フレッド・ブラッシーらが止めに入った。

「猪木さんがアリを怒らせたみたいで、アリが怒って(フレッド)ブラッシーが止めた。『ガードマン、早く下げろ!』と指示があったので、私が舞台に飛び乗った。それでアリさんの背後から腹に腕を回して、思い切り後ろに引っ張ったんです」

調印式で猪木を挑発するアリ(1976年)
調印式で猪木を挑発するアリ(1976年)

 学生時代に重量挙げの有力選手だった小川氏は、世界ヘビー級王者を相手にもひるまなかった。ただ、その時に触れた肉体の感触は意外だったという。「おなかが柔らかかった。女性みたいにフワフワで、『何これ?』と思いましたが、(アリが)ぐっと力を入れるとカチカチになった。アスリートのすごい筋肉でしたね」

 小川氏にとって、アリの肉体を間近で感じたのはその時だけではない。ある日、2人きりでエレベーターに乗った際、小川氏に空手経験があることを知ったアリが、突然「カモン!」と言ってファイティングポーズを取った。小川氏はミット打ちの要領で両手を差し出し、アリのパンチを受けたという。寸分の狂いなく手のひらの中央に打ち込んできたので、好奇心盛んな小川氏は、さらに右上腕を差し出して「ここを殴ってくれ」と頼んだ。アリは一発目こそ手加減して軽めに打ったが、小川氏が「もっと強く」と食い下がると、「クレージー」とつぶやき、再び右拳を放った。

「7割くらい(の力)だったと思うけど、痛いの通り越して『ズシーン!』ときて、エレベーターの端まで1メートルくらい吹っ飛ばされましたよ」

 半世紀たった今、その衝撃は単なる思い出ではない。「面白かったですよ。言ってよかったです。昔はなんでもなかったけれど、50年たったら重みが違う。殴られた衝撃以上でした」

のちにMMAの源流にもなった猪木とアリの一戦(1976年)
のちにMMAの源流にもなった猪木とアリの一戦(1976年)

 エレベーターの中で、アリは「俺のパンチは違うんだぞ。普通のパンチではない」とも語っていたという。そのパンチはストレートにツイストを加えたいわゆるコークスクリューブローで、空手師範でコーチのジョン・リー氏から打ち方を習ったと小川氏に説明した。当時の東京スポーツによると、アリはこの必殺ブローを「アキューパンチ」と命名しており、ボディーガードにもその威力を解説するほど自信があったようだ。

 一方、小川氏にはプロレス界との意外な縁もある。全日本プロレスのエースだった故ジャンボ鶴田さん(享年49)は、山梨県の名門・日川高で2学年上の先輩。ウエートリフティング部だった小川氏は、バスケットボール部の鶴田さんと高校時代から親交があった。鶴田さんがプロレス入りした後には、駅で偶然出会い、グリーン車のチケットをプレゼントされて一緒に帰郷したこともあるという。「鶴田さんは尊敬する先輩。本当に優しい人だったから、プロレスラーになるとは思わなかった」という小川氏は、アリと鶴田さんに共通するものを感じている。

「アスリートだけど、他人のことを思う。これは二人とも半端じゃない。ファンへの対応も一緒。(アリは)疲れていて、サインなんて嫌だったはず。鶴田さんも電車の中で子供たちにサインをせがまれると、全員にやっていましたよ」

 アリと過ごした12日間から50年。小川氏にとって、あの時間は今も人生の大きな転機として刻まれている。

「人生のエポックです。2発殴られるなんて経験はできないし、すごいことだと思う。猪木―アリ戦に関しては、私の中では人類史上最高の試合です。もうああいう試合は絶対にない。頂点を極めた人たちが異種格闘技で、真剣勝負をするんだから」

 世紀の一戦をリングサイドで見たわけではないが、史上最高の拳とスーパースターの素顔を至近距離で見た男の証言は、50年たった今も色あせない。

アリは猪木のローキックを露骨に嫌がった(1976年)
アリは猪木のローキックを露骨に嫌がった(1976年)

☆おがわ・ますみ 1952年5月15日生まれ。山梨・甲州市勝沼町出身。日川高から明大農学部。綜合警備保障に入社しガードマンとして勤務した後、結婚を機に帰郷し、農業に従事。勝沼町議員になり、甲州市の命名にもひと役買った。現在はイオン水を使った野菜などの栽培に取り組んでいる。