新日本プロレスの〝猛牛〟天山広吉(55)が、15日の両国国技館大会で偉大なキャリアに終止符を打った。引退試合では小島聡とシングルマッチで激突し、ラリアートにごう沈。1991年1月のデビューから35年7か月、新日本一筋を貫いた天山は独占手記を寄せ、長年にわたる激闘の代償で満身創痍になりながら最後まで貫いた美学や、まさにツームストーンな家族の支えを明かした。

【独占手記】両国国技館の天井を見上げて「ああ、もうこれで選手としては終わりなんだな」と感慨深いものがありました。本当に身も心もスッキリしたので、心置きなく引退できます。

 試合を見てもらえば分かると思うんですが、何げない技、当たり前の技がもうできない。やれてもバランスが崩れて倒れてしまったり、本当にぶざまだったなと。でも、ありのままの自分を出すしかないと思っていました。自分が大事にしてきた相手に向かって行く気持ち、戦う気持ちは見せられたんじゃないかな。

 首の負傷はだいぶマシになったんですが、腰や下半身の方に来たのが誤算というか、ここまでひどくなるとは思ってなかったんです。2024年12月27日に大阪での試合中、下半身がマヒしてしまったのが一番自分にとってはショックでした。何げなく後ろ受け身を取ったはずが「ビーン!」となってしまって、リングサイドでこのまま動かなくなったらどうしようって。「もう無理かな」と思った瞬間でした。

引退試合で小島聡のラリアートをくらう天山広吉(右)
引退試合で小島聡のラリアートをくらう天山広吉(右)

 今も両足のしびれが朝から晩までずっとある感じです。足の力が足りないから大好きな車の運転もドクターストップがかかって、車も処分して…。引退後に治療とリハビリでできる限り戻していきたいと思っています。

 体はボロボロになってしまったけど、プロレスラーとしての後悔はありません。1試合、1試合「受けてナンボ」でやってきたつもりなので、自分の中で勲章じゃないですけど…。とにかくプロレスのすごさをお客さんに見てもらいたかった。受けの美学というか、自分のポリシーとして「いくらでも受けきってやる。その倍返してやる」という戦いが好きだったので。

 35年で一番強烈だった技ですか? 橋本(真也)さんにガンガン蹴っ飛ばされたのは強烈だったし、あとは(スコット)ノートンのパワーボム。あれはもう全身しびれましたもん。体を鍛えてやってきたけど、あの2人はすごかったなあ…。

 自分だけの力じゃなく、本当に皆さんに支えてもらって、教えを請うてここまでやってこれました。憧れの人で付け人も務めさせてもらった長州(力)さん、優しく親身になって相談に乗ってくれた蝶野(正洋)さんをはじめ、多くの人にセレモニーに来てもらって本当に感謝です。橋本さんや師匠の大剛(鉄之助)さんにも、最後の試合を見てもらいたかったですね。

 家族の支えもありました。息子は嫁と性格もそっくりで、スパルタというかね。引退試合まで「パチンコはやめる」と約束していたんですけど、6月の終わりに気付いたら電車に乗って溝の口に来ていて…。そうしたらそのパチンコ屋に来たんですよ、息子が。「父さん何やってんだよ!」って言われて、後ろから殴られそうになって。まさにツームストーン…。でも、意志の弱い自分を支えてくれて感謝ですね。

小島聡のデビュー戦は天山だった(1991年7月16日)
小島聡のデビュー戦は天山だった(1991年7月16日)

 デビューする前は練習も厳しくて、理不尽なこともあって1回は道場から逃げてしまいました。山本小鉄さんと坂口(征二)会長にお願いして再入門させてもらったからには、二度と新日本を裏切るようなことはできないと思って今日まで過ごしてきました。

 小さいころからの夢がかなって、まさか新日本に35年も残れると思いませんでした。奇跡としか言いようがない自分のキャリアは、皆さんの応援があってこそのものです。本当に長い間、ありがとうございました。カマーン!(新日本プロレス)

手記のためにしたためた天山広吉のサイン
手記のためにしたためた天山広吉のサイン