【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(5)】親との交渉の末に新日本プロレス入門が決まった。入ったら、もうこっちのもんだよね。プロレス界に入った1984年の前年は人気がピークになっていた。そうなると団体内部では不満も出てくる。悪いうわさも流れるし、選手らはやっぱり見返りが欲しくなる。新日本は売り上げあるのに、何で選手に回さないんだと。そういうのが出てきたど真ん中の時期に新生活は始まった。
道場生活では山本小鉄さんが雲の上の人だった。一緒に住む寮生、同期の7人はライバルで、その上に先輩たちがいろいろいる。テレビ中継に出てなくてもごつくて強そうで、意地悪そうな人ばかり(笑い)。1、2年先に入った先輩とも力が全然違う。1個上の佐野(直喜)さん、畑(浩和)さん、ライガーでさえも強くてかなわない。「ヤバい」と思ったし、先が全く見えない。デビューなんか頭の中で消えてしまい「いかに生きるか」「辞めずに残るか」でいっぱいだったな。
要は人数が多すぎるんだ。誰が生き残るのか、勝負方式のレースが始まったんだけど、俺はなかなか気づく余裕もなかった。同期の7人みんなが残れたらいいなぐらいに思ってたが、じゃあ助け合いをするかっていったら、しないわけよ。同期で横のコミュニケーションがあるわけではなかったからね。
その中で唯一、接点があったのが武藤(敬司)さんだった。俺の同級生と武藤さんのいとこが一緒の専門学校でお互いの情報をわかっていた。最初に道場で会って「聞いてるよ」という感じで。武藤さんが柔道で活躍したとは聞いてなかったけど、俺の同級生は「蝶野は悪いヤツだ」みたいに言ってたな(笑い)。
俺らはそういう横の関係がない中で生き残っていくため“罰ゲーム”をやっていたわけだ。その“罰ゲーム”のあり方に武藤さんは不満を持っていた。俺は柔道でキャリアがあって、ちゃんとやれば先輩たちよりできますよ、くらいの自信がある。ある日のこと、練習では毎日スクワットを1000回くらいやらされるけど、武藤さんは「もうこんな練習についていけません」と言った。それで先輩からは「できないなら出て行け」と言われ、武藤さんは本当に出て行ったんだ。
俺は頭の中で「1人減ったな」と思ったら、コーチの小鉄さんが道場から出て「すごい素質があるんだから我慢しなさい」と、武藤さんを慰めたんだ。俺は「演技してたんじゃないの?」と考えたわけよ。小鉄さんに直接引き留めてもらうなんて“ネタ”になる。声をかけられずに辞めていくヤツもいる。武藤さんはそこら辺を頭の中で全部考えていて「俺のことは止める」と思ったのだろう。「辞める」って2回ぐらいやったから、間違いないよ(笑い)。













