【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(2)】俺が学生時代を送った1970年代、不良は「ファッション」だった。スポーツ万能だった小学校の先輩、N島君が中学生になった途端、チョッパーに乗り、アフロの金髪で眉毛そって、ボンタンはいて、アロハシャツ着て学校に行ってたんだ。「エッ? あのN君が…」と驚いたねえ。
番長のK君は3年生になったら学校に来ないんだ。「これは別世界だな…」と思っていたが、中学1年生の時だ。高校生に絡まれ、仲間が「俺ら5中(三鷹市立第五中学校)だよ!」と言ったら「5中か…。じゃあいいよ」って。「こういう世界があるんだ」と感心し出した頃から、ワルの世界と出会ったんだよ。まあ、環境は大切だなってことだ。
ツッパリの世界って要はハッタリなんだ。グループには番長のほかにスピーカーみたいな役割のヤツがいて、そいつが相手をあおるんだけれど、自分じゃ手を出さない。Uインターの宮戸(優光)さんみたいなもので散々挑発しても、前に出るのは高田(延彦)さんっていう(笑い)。プロレスの世界も同じで、そういう役割がいるチームは強いんだよな。
俺は暴走族でもあったんだ。もう時効だと思うから話すが、単車グループの頭になった時もバイクの並び順から、ここを走ったら警察署があるとか、この道を走ったら前がふさがれるとかのルートを選択。走る前には綿密にコースをチェックして、ミーティングできっちり打ち合わせていた。だから1回も捕まったことがないんだよ。
1つ上の先輩N君は身長160センチで小柄だけど威勢がいい。走る前には台に上って100人、200人のメンバーに指示を出していた。俺らは「自分を大きく見せようとしてるんだな」と話していたものさ。それから俺がレスラーになって米国・WCWに出場した際のこと。ミーティングでビル・ワット(副社長)が話をしたんだが、身長が190センチ以上あった彼もイスの上に立って話していたんだ。「N君と同じやり方だ」と感心したことがあったよ。
悪いことするにも下調べがあるし、人の前で話す時にはやり方がある。後から振り返ると、ワルの頃でも勉強になることがあったな。
小学生からサッカーに熱中し、高校受験の際にはサッカーの強豪校から推薦をもらった。偏差値も低くなかったんで試験を受けたら全く勉強してなかった古文が出て、合格ラインに届かなかった。単願だったんで大慌てだ。俺には新聞沙汰になったケンカの件もあったから、高校浪人も覚悟していたが、都立の2次募集で滑り込んだ。高校でもサッカーは続け、1年で西東京選抜に選ばれた。だけど、ケンカしちゃって…。合計4回、停学になった。都立は停学2回で退学なのに、な。













