【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(3)】ワルだった都立高時代にはこんなことがあった。近くに都心からマンモス校が引っ越してきた。俺は電車の中で寝てしまい、起きたら周りはマンモス校の連中しかいなかった。3年生らしきヤツが「お前、何やってんだよ!」と絡んできた。俺も「三鷹の蝶野だ、知らねえか!」と返して、つかみ合いになったんだ。

 でも周りの制止が入ってケンカにはならなかったんだが、うわさは広がりマンモス校から都立高に連絡が入った。その時に体育の先生に呼ばれて「蝶野! ここだから言うけど、よくやったな!」と何でか褒めるんだよ…。ここまでマンモス校にやられっぱなしで、こちらから抵抗したのは初めてだって。翌日はマンモス校の朝礼に行ってあいさつしてきてくれと。

 俺は3000人くらいいるマンモス校の朝礼で「ご迷惑かけました」って謝ったんだけど…これでまた名前が売れちゃうんだよ。他のケンカの時も先生から「お前はケンカも遅刻もするけど、とにかく3年間、サッカーだけ続けろ」と言われてさ。オヤジも含め周りがおおらかだったんだよ。

 頭の中にはサッカーしかなかったから、プロレスの「プ」の字もなかったな。当時はタイガーマスクが大ブーム。高校でプロレスごっこをやっている連中がいても、俺の中では「テレビなんか見てる連中はガキだ」ってイメージだったんだよ。

 ところが高校を卒業して大学浪人。ワルの看板を下ろして緊張感がなくなった。学生時代は街に出ると絡まれ、ケンカになるというプレッシャーがあったが、逆に自由になって定職を持たないワルの先輩と遊んでいたな。サッカーも勉強もやってない。浪人2年目を迎えて焦りも出てきた。となったら毎日テレビを見るしかなくて。金曜8時にはテレビの前に座り「プロレスは面白い!」ってなったんだよ。

 タイガーマスクがデビューして大活躍していた頃で、IWGP(リーグ戦)が始まってプロレスの魅力に魅せられた。そして、いつの間にかプロレスラーになることが夢となっていったんだ。崖っぷちに立たされて「プロレスに飛び込むしかない!」って、なったんだよ。そこから2年目の浪人生活では空手の道場に通い、体を鍛え始め、ジムにも行くようになった。レスラーになるために腕立て、スクワット、腹筋を1000回できなくてはと知って、家でもやり始めたよ。おふくろにはちゃんこもどきを夜食に作ってもらったな。

タイガーマスクの活躍でプロレス入りを決意(82年7月)
タイガーマスクの活躍でプロレス入りを決意(82年7月)

 当時の俺は新日本プロレスしか見ていなかった。全日本プロレスは体の巨大な選手が戦う異次元な世界。俺と背格好の変わらない、(アントニオ)猪木さんや長州(力)さん、藤波(辰爾)さんが戦うほうが現実感があった。そして俺は新日本プロレス受験にかじを切るんだ。