【プロレス蔵出し写真館】「力道山メモリアル」(1996年6月30日、横浜アリーナ)での長州力発言に端を発し、新日本プロレスと大日本プロレスは対抗戦へと発展する。

 長州は「まともに見られたのは後半の何試合かだけ。あんなのプロレスじゃない。あまりにもお粗末」と〝インディー批判〟し、大日本のグレート小鹿社長が「インデー(※インディー)全体でまとまって戦う。オレが声をかければ選手は集まる」とかみついた。

「メモリアル~」が行われた横浜アリーナの控室でIWAジャパンのターザン後藤と話し込んでいた長州(※ミスター雁之助のユーチューブより)は後藤の参戦を望んでいたが、小鹿が食いついてきたことで「引っかかった魚が小さすぎた」と揶揄する〝名言〟を吐いた。

 それでも、10月に東京ドームを押さえていた新日プロは、ここでインディー連合軍との開戦を考えていた。東京プロレスの石川敬士、PWCの高野拳磁らの参戦が噂された。

 ところが、東京ドームをフランチャイズにしていたプロ野球、日本ハムファイターズの雨天中止となった代替試合がドームでの開催となったため、新日プロのもくろみは外れてしまう。

 対抗戦は翌97年1・4東京ドームで開催へと変更されたが事情が変わった団体もあり、最終的に大日本以外は参戦しなかった。

 新日プロの永島勝司取締役企画部長との交渉過程で、小鹿が長州に突きつけたメンバー表にはケンドー・ナガサキ、田尻義博(後のTAJIRI)、フリーの中牧昭二、松永光弘の4人+X3人とあったのだが…。

 グレート・ムタとの対戦が決定と報じられた松永は「小鹿社長に勝手にやられた。ドームに出る意思はない」と参戦拒否を通告する。

 松永は「(長州が)インディー批判をしたんだから〝インディーで商売をするな〟と思った。それでボイコットした。まして小鹿さんから事前に出てほしいって打診もなかった。それに私は二度と新日本プロレスには上がらないと決めていた」と当時を振り返る。

 91年に新日プロに出場したときのギャラが、約束されていた金額とは違っていたという。

 松永は「ずいぶんたってから、一緒にトークショーをやった永島さんが大日本に提示したギャラは500万円だったと語った。大日本って経営が苦しくて結構、大きい赤字をつくっていた。それは(大日本に参戦していた)私もわかってます。500万出したってことは〝500万分の恥はかいてもらう〟ってことじゃないですか。だから中牧さんは1分7秒、ケンカキック一発ですよ。だからグレート・ムタ戦なんか出たってろくなことは絶対ない。扱いは目に見えてますよ」と断言した。

 3人のXのうちの1人と目されたWARには協力を拒否された。松永は「天龍(源一郎)さんが『オレは松永の代打か。ふざけるな、出ない!』って言ったという話を新日本の関係者から聞きました」と明かす。

 さて、新日本との対抗戦には小鹿、ナガサキ、田尻と中牧が参戦。対抗戦は4試合のみとなった。 

 最初に登場した田尻は大谷晋二郎のスワンダイブ式ニールキックで8分30秒、片エビ固めで敗れた。ナガサキは、かつて米国でタッグを組んでいた後藤達俊と対戦し、イスの上にパイルドライバーを決めて9分23秒、体固めでフォール勝ちを収めた。

 有刺鉄線ボードを背負って登場した中牧は蝶野正洋に張り手を食らい、ケンカキックで花道から蹴落とされた。最後はケンカキック一閃。わずか67秒で撃沈した。敗れた中牧は、自ら有刺鉄線ボードの上で受け身を繰り返してみせた(写真)。

 小鹿はマサ斎藤と対決し、アンクルホールドを決められ4分25秒でギブアップした。

 中牧と対戦した蝶野は、藤波辰爾&木村健悟を相手に天山広吉と保持していたIWGPタッグ王座防衛戦も行った。

 蝶野は当時を振り返り、「(対抗戦は)なんとなく覚えてる。オレ1日2試合やったときだよね。マサさんと大熊(※元司。小鹿と〝極道コンビ〟として活躍)さんがやって…」と軽く小ボケをかましてから語り始めた。

「インディー系とオレがやったのは大仁田(厚)さんも含めて、一番最初にやったのが中牧さんじゃないかな。女子プロのジョーニー・ローラーとか、やりにくい奴ばっか当てられて(※カードを組まれて)…。ドームだから、当然メインクラスの試合を張りたいんだけども、そういうカードを組まされるってことに、相手というより、会社に対して不満があった」

「ただ任された以上、やっぱり〝おいしい料理〟にしなきゃいけない。向こうの〝カラー〟を消すだけじゃいけないし、試合は短かったけど、その後で中牧さんが有刺鉄線かなんかに受け身を取るっていう、まあちょっと滑稽だったかもしれないけど、勇気ある、なんていうのかな、心意気は感じた。レスラーっていえるほどの人でもなかったし、大日本っていうのは新日ファンは同列的な考えは持ってなかったと思う。オレがブッカーだったら全部第0試合の前座にしてたかもしれないな。だけど、あの中から田尻君とかが出てきちゃうわけだよね」

 大谷は田尻を「いい選手」と評価し、同年、新日プロ「BEST OF THE SUPER Jr.」にも参戦。ECWやWWF(現WWE)でも活躍した。

大谷(下)相手に好ファイトを見せた田尻(1997年1月、東京ドーム)
大谷(下)相手に好ファイトを見せた田尻(1997年1月、東京ドーム)

 蝶野は「ドーム大会はシリーズとはまた違うカード。シリーズとかけ離れたカードを組まれたりっていうことで、やってる側は面白くはなかったけど、今振り返ると面白いカードだよね」と回想した。

 対抗戦で1勝3敗と負け越した大日本だが、小鹿は「100%負けたのはオレだけ。中牧は大日本のいいところを見せてくれたし、田尻も勝負に勝って試合に負けた。実質、1勝1敗2分けだと思ってる」と負けを認めなかった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る