【プロレス蔵出し写真館】T2000の総帥・蝶野正洋がマイクでアントニオ猪木をリングに呼び込んだ。
「オイ、新日本! このリング、我々の上には神がいる。ミスター、イノキ!」
観客の猪木コールとともに猪木がリングインする。今でも語り草の「猪木問答」での蝶野の〝名言〟だ。
今から24年前の2002年(平成14年)2月1日、札幌・北海道立総合体育センターで、蝶野は天山広吉&後藤達俊とタッグを組み、藤波辰爾&長州力&越中詩郎組と対戦。試合に快勝後、蝶野がマイクを握った。
この年の1月16日、武藤敬司が契約を保留。18日に辞表を提出して小島聡、ケンドー・カシン、5人のフロント社員とともに新日本プロレスを退団した(2月25日に全日本プロレスと正式契約)。30日にはK-1の石井和義正道会館館長が新日プロの株を入手したことが報じられた。
〝筆頭株主〟の猪木が自らの保有する株を売却したのか、石井館長は株主として新日本に携わるのか、誰もが疑心暗鬼になっていた。K-1、PRIDEから重宝されていた猪木は、新日本のリングにも格闘技路線を進め、選手から反発の声も上がっていた。31日に北海道入りした蝶野は、新日プロの混乱をリング上で直接、猪木に問いただすと語っていた。
さて、花道から登場した猪木は「オレは怒ってる。武藤(敬司)がどうしようと、馳(浩)がどうしようと、そんなことはどうでもいい。新日本プロレスの心臓部、機密を全部持って行かれた。蝶野! 怒ってるかオメェは!」。
目をつぶり、上を見つめていた蝶野は意を決したように口を開いた。
「新日本の象徴の神であるアントニオ猪木に聞きたい。ここのリングでオレはプロレスやりたいんですよ」。思いのたけをぶつけた。
「猪木さん、オレに任せてほしい。この現場をオレがやります」
猪木から中西学、永田裕志、鈴木健想にもマイクが向けられた。棚橋弘至は「オレは新日本のリングでプロレスをやります」。蝶野同様、キッパリと言い切った。
猪木は「それはそれぞれの思いがあるから、それはさておいて」。観客は爆笑だ。「お前たちが本当に怒りをぶつけて、本当の力を叩きつけるリングをお前たちが作るんだよ! オレに言うな! テメェらの時代、テメェらの飯のタネをテメェで作れよ、いいか!」。猪木は怒気を強めて言った。
猪木は前年の3月20日、新日プロ・代々木大会で橋本真也、藤田和之、安田忠夫らとリングジャック。終了後、控室で怒りをエスカレートさせた猪木は「新日プロは危機的状況だ。幹部は堕落している。場合によっては藤波に社長を辞めろと言った」。フロント陣を非難した。
翌日、長州らは強権発動した猪木に対し「4・9大阪ドームのカードをすべて白紙撤回。カード編成を猪木さんに全部お任せします」と白旗を掲げた。ここで猪木の独裁色が強まった。
蝶野は当時を振り返り「長州さん、マサ(斎藤)さんとか永島(勝司取締役)さん体制に〝時代遅れだ〟と、フロントの部長クラスX氏、Y氏が仲裁に入り、株主総会で猪木さんに政権を託した。でも、いかんせん猪木さんがやろうとしてる格闘技路線と方向性が違った」と明かす。
「(武藤さんが退団すると)彼らは、すぐ全日本派に乗り換えた。それで取締役の部長クラスが全部いなくなっちゃった。クーデターですよね。WJに行く派は行動の隠ぺいをしていたし、もう完全な崩壊状態だった。多分、クーデター派は、あそこで新日本を潰す予定だったんじゃないかな。それぐらいの勢いだった」(蝶野)
「(猪木問答で)猪木さんから『現場仕切れ』って言われたんだけども、実際はもう、逆にオレが裏切り者みたいに見られてるわけですよね。会社の中に入ってみたら、誰も東京ドーム(5・2)のドの字も出てこないという状況で(現場監督を)引き渡された」
新日プロのオフィシャルカメラマン山本正二さんは「札幌大会の試合後、選手宿舎の近くにあったラーメン店に入ったら、蝶野たちがいた。遠慮しようと思ったら、蝶野が『山本さん、大丈夫ですよ』と言ってくれて、入店した。マサ斎藤や(獣神サンダー)ライガー、飯塚(高史)、タイガー服部レフェリーから『俺たちが応援するから現場監督やりなよ』。そう言われてた」と明かす。
仲間からの信頼が厚かった蝶野。意気に感じた蝶野は現場監督として東京ドームを満員にすべく奔走することとなる(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














