新日本プロレスの道場部屋で2人部屋だったKENSOさんとのタッグでステップアップしていた直後の2002年、思わぬ誘いを受けることになりました。1月4日東京ドーム大会が終わって、当時付け人を務めていた武藤(敬司)さんの荷物をまとめて帰ろうとしていたら「おうタナ、道場まで送ってやるよ」って言われて。武藤さんのベンツで道場に向かう道中で、ファミレスに入って食事することになったんです。

 ああ、武藤さんと一緒だったら六本木か銀座が良かったな…なんて思っていたら、食事中に「おいタナ、俺と一緒に全日本(プロレス)に来いよ」って言ったんです。「ええー!」って感じですよね。そういう噂はあったし、結局小島(聡)さんとケンドー・カシンさんも一緒に全日本に移籍するんですけど、その中でも将来的に有望だと思ってもらってたんですね。武藤さんも「タナはいいよ、根が明るいからさ。あとのヤツは暗いよ」みたいな感じで。

武藤敬司(右)は棚橋弘至を全日本に勧誘(左は藤波辰爾、2002年1月)
武藤敬司(右)は棚橋弘至を全日本に勧誘(左は藤波辰爾、2002年1月)

 でも、その場では返事はできなかったですね。大スターである武藤さんに声をかけられたのは大変光栄だったんですけど、やっぱり新日本プロレスが好きだったので。「ちょっと考えさせてください」と言ったまま、お正月休みに入って実家に帰ったんです。

 岐阜の実家にいる時に武藤さんから「タナ、どうすんだよ」と電話があったので「すみません、僕は新日本プロレスが好きで入ったので残ります」と言ったんです。電話だったのが断りやすかったというのもあったのかな…。誘いを断る後ろめたさはもちろんありましたが、武藤さんは「おうそうか! 悩ませて悪かったな!」と明るく言ってくれて。「軽っ!」て思ったんですけど、そこが武藤さんなりの気遣いだったんでしょう。

 そこから新日本は苦しくなっていくので「武藤さんがいてくれたらな」「橋本(真也)さんがいてくれたらな」って思ったこともありましたよ。橋本さんのZERO―ONEからも声はかけられていたんですよね。それにいち早く気付いたネコさん(ブラック・キャット)が、橋本さんがやるイベントや練習に俺を行かせないようにしてて(笑い)。

 武藤さんは(アントニオ)猪木さんが推進していた格闘技路線に背を向ける形で退団という道を選びました。当時は猪木さんが「プロレスこそ最強」と言っていた感覚が残っていた時代だったので、避けては通れなかったのかな、と今となっては思いますね。

 そして武藤さんたちが離脱した直後の02年2月1日、北海道立総合センターで猪木さんと所属選手たちによる“猪木問答”が繰り広げられ、俺もそのリングの上に立つことになったんです。