5月13日は不世出の名レスラー、故ジャンボ鶴田さんの命日。前日12日にはトークイベント「ジャンボ鶴田は最強だったのか? スペシャルトーク&撮影会」が、東京・文京区のワテラスホールで開催され、天龍源一郎(76)、藤波辰爾(72)、プロレスライターの小佐野景浩氏が鶴田さんの思い出を振り返った。
全日本プロレスのエースとして数々の怪物伝説を残した鶴田さんは、2000年5月13日に死去。26回目の命日を迎えるにあたり、ライバルであり〝鶴龍コンビ〟を組んだ天龍は「プロレス界におけるお手本だった。言いにつけ悪いにつけ、反面教師」と語る。〝鶴龍コンビ〟については「組んでる時はジャンボ鶴田頼みだった。ジャンボが全部やってくれるから、『楽だなあ』と思っていた」と言って、観衆の笑いを誘った。
さらに鶴田さんの性格について触れ「人のことは一切関知しない」と明かす。レストランや喫茶店に入った時は、後輩におごることもなく、徹底して自分の分だけしか払わなかった逸話も披露した。「彼は自分でバリケードを築いていたので、俺は入るのをあきらめた」というプライベートでの関係があった中で「ジャンボはプロレスをビジネスと思ってたけど、わざと波風を立てた」と鶴田さんとの抗争に発展する。
天龍―鶴田戦は毎回、シ烈を極めた。「ジャンボが俺を引っ張り上げてくれた。俺のほうはジャンボの恩恵にあずかっている。(試合中に)俺がいらんことをやると、ジャンボが4文字の汚い言葉を言ってたので『怒ってるな』と思い、俺はほくそ笑んだんだ。試合中でもうれしかった」。スタン・ハンセンとの比較でも「ハンセンは直線で返ってくるけど、ジャンボはふにゃっと返ってくる。やりづらかった」と鶴田戦のほうが厳しい戦いだったという。
鶴田最強説には「レスラーとして能力が高かったし、よくジャンボ鶴田は一生懸命やらないと言われるけど、6割で7割くらいで通用する運動能力があった」と、ズバ抜けた素質の高さを指摘する。
新日本プロレスの大黒柱だった藤波は、全日本の鶴田さんとの頂上決戦が期待されたが、実現しなかった。ただ、MCの小佐野氏が、藤波が鶴田さんのデビュー戦を全日本の会場で生観戦していたと明かした上で、藤波は「すごいデカいという印象。貫禄があった」。東京スポーツの企画で鶴田さんが新日本の道場を訪れたこともあり、リングで組み合った飛龍は「ロックアップしたけど、デカかったねえ。オーラがあった」という。
1979年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦」では鶴田さん、ミル・マスカラスとトリオを組んで、6人タッグ戦に出場した。「彼の動きに余裕を感じた。でもライバル意識はなかった。レスリングの世界から来た長州(力)さんと一緒で別格だった」と打ち明ける。長州が鶴田さんと60分フルタイムドロー(85年11月4日、大阪城)など激闘を繰り広げた後、「俺もやりたい」と話したところ、長州から「やらないほうがいいよ」と言われたといい、最強伝説を裏づけてみせた。
トークショーを終えた天龍は取材に「藤波さんと会えたのが一番よかった。ジャンボがめぐり合わせてくれたのかも。ジャンボが亡くなって20数年たつけど、イベントをやってくれてジャンボも喜んでいると思う。彼と過ごした時間を思い出せてよかった」と話し、天国の鶴田さんに思いをはせた。藤波も「同世代だし、僕らが(鶴田さんを)語ることでファンの方も喜んでくれるし、ジャンボの存在はデカかったんだなと思う」と、静かに天才レスラーを悼んでいた。















