新日本プロレスの〝猛牛〟天山広吉(55)が、8月15日の両国国技館大会で引退することが11日に発表された。
天山は新日本プロレス学校を経て1990年5月に入門した。91年1月の松田納(エル・サムライ)戦でデビューすると、93年3月にヤングライオン杯を優勝して海外武者修行へ。95年1月の凱旋帰国と同時にリングネームを本名の山本広吉から現在の天山広吉に変更した。
その後は蝶野正洋と共闘し狼軍団、nWoジャパンで活躍。小島聡との名タッグは「テンコジ」の愛称で親しまれた。シングルプレーヤーとしてもIWGPヘビー級を4度戴冠し、真夏の祭典「G1クライマックス」では3度の優勝を誇り「夏男」と呼ばれた。また小島、永田裕志、中西学(引退)とともに「第三世代」と呼ばれ、一時代を築いた。
長年に渡る激闘の代償として、たび重なる負傷に苦しんだ。2009年8月には頸椎などの負傷によって約1年3か月の長期欠場。カムバックを果たしたものの、その後も首、腰、膝などの負傷が相次ぎ、近年は欠場期間が増えていた。
現在も腰と膝の負傷により長期欠場中だったが、昨年5月に受けた手術後の回復が思わしくなく、天山本人から現役続行が不可能と団体に申し出て引退が受理された。天山はこの日の会見に棚橋弘至社長とともに出席。「たくさんの方に支えられて、皆様に本当に助けていただいてありがたかったですね。入門してからここまで来れたのは奇跡に近いくらい、私にとってはプロレスラーになることが奇跡みたいなものでしたから。ここまでやってきて、プロレスラーになれて良かったなと思います」と感謝の言葉を口にした。引退後も新日本に所属したまま芸能活動を行うという。
引退のタイミングに関しては、この数か月間悩んでいたという。「いろいろな葛藤があったんですけど、レスラーとして最低限見せないといけない、対価として見せられる自信がなくなった時があって。このままじゃ難しいのかなという葛藤があったんですけど、ここはハッキリさせないといけないなと」と経緯を明かした。
8月15日両国大会では引退試合を予定している。「最後の試合をできるようにコンディションを整えていきたい。最後は何かエキシビションでも、5分でも10分でも試合できれば」と目を輝かせると「ふと思ったのは棚橋社長の引退ロードの時に休んでいたので、社長とやりたかったなと。社長もう復帰しないんですか?」と冗談めかす一幕もあった。引退試合の希望はシングルマッチ形式で、対戦相手に関しては「天山広吉と言えばあの男かな…〝行っちゃうぞ〟かな…」と、盟友・小島を示唆した。
最後の舞台に選んだ両国は数々の思い出が詰まった会場だ。「チャンピオンになったりG1初優勝した時は最高にうれしかったし。めちゃくちゃ熱い声援を直に感じるとうれしかったですね。特に両国国技館は一番やりやすい、最高のアリーナでしたので」と目を細めた。
入門から36年、新日本一筋を貫いたレスラー人生に悔いはない。「プロレスラーとしてはすべてやりきったのかな」と笑みを浮かべた天山が、万感の思いを抱きリングを去る。














