【プロレス蔵出し写真館】チャンピオンベルトを巻き、もう1本のベルトを手に〝猛牛〟天山広吉がリングに登場した。そして、その2本のベルトを鉄柱にひっかけた(写真)。

 今から30年前、1995年(平成7年)7月21日、平成維震軍興行の岩手・大船渡市民体育館でのひとコマ。天山は2冠王者ではなく、2つのベルトはIWGPタッグのベルトだった。相方の蝶野正洋は所用で欠場したため、天山がひとりで2本持ってきたのだ。

 といっても2人はチャンピオンチームではなかった。

 実は3日前の18日、北海道・札幌大会でとんでもない〝窃盗事件〟が発生していたが、蝶野と天山が容疑者だった。

 ここで、蝶野と天山は、橋本真也&平田淳嗣組のIWGPタッグ王座に挑戦。天山が橋本に押さえ込まれている間に、蝶野が平田にピンフォールを奪われ王座奪取に失敗した。

 ところが、なにを思ったのか蝶野が橋本の、天山は平田のベルトを奪い取ってテレビ放送席を急襲した。解説のマサ斎藤は平然としていたが、辻義就アナと東京スポーツ(当時)の柴田惣一記者は後ろにひっくり返ってしまうほどの勢いだった。

天山の急襲を受けコケた辻アナ(左)と柴田記者(右)。斎藤は平然(1995年7月、札幌)
天山の急襲を受けコケた辻アナ(左)と柴田記者(右)。斎藤は平然(1995年7月、札幌)

 その後、蝶野と天山は一気に逃走して、待たせてあった車でアッという間に北都の街に消えた。

「なんだ、あいつら!」とベルトのない防衛インタビューにぶぜんとする橋本。

 2人はなぜ〝窃盗行為〟を働いたのか…。

 IWGPタッグ王者コンビだった蝶野と天山は7月13日、新日本プロレスの札幌大会でスコット・ノートン&マイク・イーノス組との防衛戦が予定されていた。ところが、9日未明、蝶野の実父・照正さんが死去。14日に告別式を行うため、防衛戦は無理となり、ベルトは返上となったのだ。

 天山は「ことがことだから仕方ない。またすぐベルトをもらうから大丈夫」と語った。

 そのため、13日はノートン&イーノス組と橋本&平田組が王座決定戦でタイトルを争うこととなり、橋本組が王者となっていた。

 告別式を終えた蝶野は、天山と18日からの平成維震軍の興行に参戦。初戦で暴挙を働いた2人は、オフを挟んだ20日の盛岡大会から〝不当に〟奪ったベルトを巻いて登場していた。

 長州力は「あのベルトは橋本たちのものだ。実力行使で取り返すしかないだろう。ガツンとやるから見てろ」と7・31大阪大会での〝ベルト奪還計画〟を明かした。

 果たして、大阪では蝶野組は後藤達俊&齋藤彰俊組と対戦。試合で完勝した後、ベルトでめった打ちにするなどやりたい放題の大暴れ。ところが、ザ・グレート・カブキと小原道由が救出に駆け付け、大乱戦になると、スキをついた小原がベルトを取り上げ、セコンドに就いていた田中秀和リングアナに手渡した。田中アナはすぐさま控室に逃げ、ベルトは新日本本隊のもとへ戻されて、この件は一件落着となったのだ。

 蝶野は当時を振り返り、「なんで勝手に防衛戦やってるんだというのが、頭の中にあった。なんでそこ(札幌)でチャンピオン決めなきゃいけないのか? オレも親の不幸だから、ちょっとぐらい延期してもいいじゃないかと。会社も全然、気を使わねぇなと不満があった。次の挑戦者決定戦みたいな、そのレベルでいいじゃないかと思っていた」と明かした。
 
 ところで、新日プロのリングでは、ベルト強奪行為は忘れたころに発生するようだ。

 エル・サムライのベルト奪い去りは、テレビ中継されていたこともあって、多くのファンに知られている。ベルトを持ち去ったサムライが「このベルトはオレのもんだ」と叫んだ瞬間、長州が突如現れ「貸せ! 貸せコラ!」とベルトを奪って去って行った。取り残され、ぼうぜんとするサムライの姿は哀愁を誘った。
 
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