ステージ4の食道がん(扁平上皮がん)で闘病していたプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さんが2月28日に死去したことが分かった。53歳だった。現代のプロレスとは一線を画すクラシカルなファイトスタイルで独自の世界を築き、新日本プロレスなどで活躍。自らの哲学を語る「西村説法」も人気を博した。そんな〝哲人〟の意外すぎる素顔を同期の天山広吉(53=新日本プロレス)が明かした。

2003年には同期同士でIWGPタッグ王者に輝いた
2003年には同期同士でIWGPタッグ王者に輝いた

 西村さんと天山は山本小鉄さんが主宰した新日本プロレス学校の同期生で、同じプロテストを受けた仲。ともに1971年生まれで早生まれの天山が1学年上となるが、新日入門もほぼ同時期と文字通りの「戦友」だった。天山は「闘病されていたけど、あの西村さんが亡くなったのはいまだに信じられない」と声を震わせた。

 西村さんとのコンビで2003年にはIWGPタッグ王座を獲得。3年後に西村さんは新日プロを退団したためリングでの接点は少なくなったが、年に数回は電話で近況報告していたという。昨年末には新日プロの三澤威メディカルトレーナーが経営する整骨院の餅つき大会で久々に会う予定だったが、天山は直前に体調を崩したため欠席。「西村さんはいらっしゃった。あの時、はってでも行けばよかった。本当に後悔している」と悔やんだ。

 2年ほど前には西村さんからこんな電話があったという。「今度、全日本で一緒に組んでやりませんか?」。再タッグ結成のラブコールだ。「当時、僕は試合数が減っており、それを気にかけてくれた。そんな優しい男でした。結局、僕は体調が悪くて西村さんの期待に応えることができなかった。あの時、タッグを組んでおけば。もう後悔ばかりで…」とタイミングの悪い自分を責めた。

ヤングライオン時代、しのぎを削った山本広吉(天山=左)と西村さん(1991年)
ヤングライオン時代、しのぎを削った山本広吉(天山=左)と西村さん(1991年)

 20代でがんを患い、インドで人生観を変えた西村さん。以降は〝無我の伝道師〟として独自の哲学に基づいた「説法」でも注目を集めた。達観した口調でしゃべるその姿はまさに哲人で、聖人君子のイメージもあったが、天山によれば若手時代はヤンチャだったという。

「西村さんは『西部警察』とか『太陽にほえろ!』が大好きで刑事ものマニアだった。それにまつわるエピソードも…」。西村さんはパトカーのサイレンをどこからか手に入れ、愛車の屋根に付けて道場近辺をよくパトロールしていたという。

「橋本(真也)さんやライガーさんにコキつかわれたストレス発散ですね。警察に見つかったらヤバイから『やめましょう』と言っても西村さんは『大丈夫』って。一度、危ない運転をしている暴走族と遭遇したら『捕まえるぞ!』って追いかけたことも…。もうハチャメチャですよ」。なんとニセ警官に扮して暴走族狩りをしたという。

 西村さんとはデビュー2年後の93年のヤングライオン杯決勝で対戦し、勝った天山は欧州武者修行に出発。以降はG1クライマックスなど節目で好勝負を演じ、レスラーとしての幅を広げた。「生涯の友です、これからも。自分もあと何年やれるか分からないけど、天国からまだまだやれる天山広吉を見ていてほしい」としみじみ語った。