【プロレス蔵出し写真館】今から20年前の2005年(平成17年)10月7日、後楽園ホールで翌8日に開催される東京ドーム大会の前夜祭が行われた。

 前夜祭終了後、サイモン猪木社長の会見で新日本プロレスに激震が走った。

「強い新日本プロレスを戻す、一番の爆弾だと判断しました」と、電撃発表されたのは長州力の現場監督就任だった。サイモン氏は「受け入れてくれる選手もいれば、さすがにありえないという選手もいます。でも、強い新日本を取り戻すほうが先なので、のみ込んでもらいました」と話した。

 長州は02年5月、新日本を退団。〝プロレス界のド真ん中を行く〟とWJプロレスを設立するも、1年半程度で崩壊。04年10月、新日の両国大会のリングに上がって宣戦布告し、永田裕志や獣神サンダー・ライガーが反発していた。

 長州の現場監督復帰は〝劇薬〟だった。
 
 新日本を退団する際、批判されたアントニオ猪木は「目覚めるためには怖いオヤジがいなければならない。長州に感情的に根に持っていることはない」と肯定したが、一方で否定的な選手も多かった。

「どの面下げて戻ってくるんや。冗談じゃない」(天山広吉)

「芯が一本通っていれば戻ってこない。頑張ってる人間がバカらしくなって行動を起こさなきゃいいけどね」(吉江豊)

 ニュートラルな反応だったのはIWGPタッグ王者の若手2人。

「入門試験の時の試験官が長州力。ボクをプロレスラーにした〝恩人〟。劇薬なのは間違いない」(棚橋弘至)

「あいさつ程度しか面識はない。強いリーダーになってくれるかもしれない」(中邑真輔)

 長州は11日、約3年ぶりに目黒区の新日事務所に顔を出し、22日に大分・別府で開幕するシリーズに帯同することが決まった。いきなりの強権発動も予想されたが、1・4東京ドーム大会を目指して徐々に改革を進めることが確認された。

 しかし、それはあっさり覆され、〝長州火山〟が噴火する。

 別府大会のメインイベント、天山とのタッグで藤波辰爾&西村修組を下した蝶野正洋がマイクアピールした。

「今、新日本ではくだらない若手が育ってる。中邑、棚橋。怖くなかったらベルト賭けろ!」

 10月30日の神戸大会で、中邑&棚橋組とノンタイトル戦が組まれていたがタイトル戦を要求した。意気揚々と控室に引き揚げてきた蝶天コンビを待ち構えていたのは長州だった。

蝶野(左)を怒鳴りつける長州(2005年10月、大分・別府)
蝶野(左)を怒鳴りつける長州(2005年10月、大分・別府)

「テメェ何がこのヤロー! 調子いいこと抜かしてんじゃねぇぞ、コラ!」と天山に蹴りを放つ。そして止めに入った現場責任者の平田淳嗣にも矛先が向かった。

「テメェも一緒だコラ!」(写真)。言うや否や蹴りを見舞う。長州が発した「やれるもんならやってみろ!」の言葉尻をとらえ、平田が「これで正式決定だ」と絶叫。タイトル戦が正式決定した。

 天山は「長州のタコが! カブトムシ(雌=長州のこと)が越冬できないのは世の常識。別府から神戸までわずか9日間。(現場監督は)短い命だったな」と言いたい放題だった。

 さて、24日に鹿児島でマスコミ対応した長州は「平田を解任します。オレが言ったことをやれるかやれないか。やれなかったらこのまま東京に帰ってもらう。ドームのチケットでも売って歩けってことですよ。用のない奴は東京に帰します。これは多分、他の選手も肝に銘じてほしいと思う。1からじゃないんですよ、ここ(新日本)は。0からなんですよ。1の余裕もないですよ」と語った。

 平田は「解任? ふざけんじゃねぇ。このシリーズ任されてんだぞ。一つひとつオレらが積み上げてきたものを全部否定しやがってふざけんなよ。長州力が来ようが何しようが勝手にやりゃいいじゃねえか。俺は俺のやり方でやるよ。ふざけんな」と激怒した。

 翌25日の熊本大会から、平田はマスクをかぶりブラック・ストロング・マシーンとしてファイトすることとなった。試合後、「どこかの現場監督とやらは、ド真ん中で見ているんじゃなかったのか。大体、こんなやり方でまとまるわけがない。奴にまとめられるわけがないだろ」と吐き捨てた。

現場責任者を解任された平田はブラック・ストロング・マシーン(上)に変身(2005年10月、熊本)
現場責任者を解任された平田はブラック・ストロング・マシーン(上)に変身(2005年10月、熊本)

 平田は当時を振り返り「すごい怒りましたね、たしかに。けっこうカチンときた記憶がある。オレ、普段そんなに怒らないタイプですから。(別府で)長州さんともめたとき東スポの記者だったか、新聞記者がバーッと集まってきて『オーイ新聞記者!』って言ったつもりが『おいしんしゃ』に聞こえたって言われたね」(笑い)。

「マスクかぶったのは覚えてないな。オレ、そこからマスクかぶったんですか…。『お前はダメだから(現場責任者)辞めろ』みたいな感じで言われて、マジで腹の底からムカついたね」と回想した。

 長州現場監督に対し、選手の反発はすさまじいものがあった。翌06年1月4日の東京ドーム大会終了後、新日本は再び地殻変動が発生することとなる(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る