【グレイシーハンターの〝真実〟 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道(31)】ブラジル・シュートボクセでの練習を終えて帰国してから1か月ほどたった2005年10月23日の「PRIDE.30」でケン・シャムロック(米国)と対戦しました。

フジマール会長(手前)と抱き合って喜んだ。左後方はシャムロック(05年10月)
フジマール会長(手前)と抱き合って喜んだ。左後方はシャムロック(05年10月)

 この試合は運よく、1ラウンド(R)2分27秒でTKO勝ちすることができました。相手が完全にタックルの防御をしていたから、タックルにいくフェイントを入れてパンチを入れたらうまいこと当たって倒れたんです。相手はその後の追撃で目を覚ましちゃったけど、そのままレフェリーストップになりました。

 この試合は、フジマール(フェデリコ会長)やマウリシオ・ショーグン(ブラジル)といったシュートボクセのメンバーがセコンドに就いてくれて、すごくいい支えになりました。試合後も一緒になって喜んでくれたんですよ。当時、帰国してすぐにシュートボクセのステッカーを自分の車の後ろの窓のところに貼ったりしていました。

 その後、大みそかの「PRIDE男祭り」でミノワマン(美濃輪育久=現・宇宙超人!ミノワマンD・Z)と対戦します。ミノワマンとはたまに練習する仲でお互いにパターンが分かっていて、やりづらさがありました。試合は読み合いになったけど、1R9分39秒で腕を決めて勝つことができました。そして、この試合が僕にとってPRIDEでの最後の試合になりました。

 実はこの試合の少し前、所属していた高田道場から「次の契約はどうする?」って聞かれたんです。契約は毎年3月末までだったので。ただ、今までそんなことを聞かれたことはなかったから、向こうも何か察して聞いてきたんでしょうね。それで僕は「4月からは高田道場じゃなくてPRIDEと直接契約します」って話をしたんです。

 そういう状況の中、06年早々にFEGの社長だった谷川貞治さんから「こっちに来ないか」的な話をもらったんです。当時、FEGは「HERO’S」っていう総合格闘技イベントをやっていました。

 最初は移籍の意思はほとんどありませんでした。それで「PRIDE」の榊原(信行社長)さんたちとも何度も話をしたんです。ただ、その時に必ず「高田道場」の話が出てくるんですよ。僕としては4月からフリーになって心機一転したいけど、やっぱりPRIDEにいる限りはそうはならないんだなと思って…。

桜庭の高田道場退団を報じる紙面(06年4月30日付)
桜庭の高田道場退団を報じる紙面(06年4月30日付)

 本当にいろいろ考えたし、悩みました。そんな中、ある知り合いが弁護士の先生を紹介してくれて相談することができたんです。その先生にも客観的に意見を聞いたら「HERO’Sに行った方がいい」って勧められました。そういうこともあって最後は移籍を決断し、榊原さんに「辞めます。向こうに行きます」っていう話をして、僕は新天地に向かいました。 

 

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