【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(13)】1999年の1月にジャイアント馬場さんが亡くなって、会社の方はどうなるなのかって思ってたら(馬場)元子さんの指揮で三沢(光晴)を社長にするっていう話がまとまった。でも三沢もかわいそうだったよな。平役員の(馬場)元子さんの方が偉いから。社長なのに、いつも〝へーこら〟していたよ。集まりがあった時に「あいさつをやれ」っていきなり振られたりしてさ。そういう意地悪っぽいことがたくさんあったよね。
三沢はかなり頭に来ていたんじゃないのかなって思うね。元子さんは会社の大株主だし、先代社長の奥さん。なにより三沢夫婦の仲人を務めたのも、馬場さん夫妻だったから、そりゃ頭上がらないよね。そういう面もあったんじゃないの? 細かいことはいっぱいあったみたいだけど。詳しいことは知らないな。
その新体制で俺は役員になったのに、選手会長もやらされていた。どっちもやっているのはおかしいだろ? それにたいしたことはしていないし、名前だけだったよ。三沢体制は馬場さんの時代とあまり変わらなかったんじゃないかな。
後にノアを立ち上げる三沢から「全日本プロレスを出る」っていうのは本人の口から聞いた。「社長のままだと辞められないから」って、2000年5月の臨時の役員会で半数以上の賛成でもって三沢をクビにすることになったんだ。その後に俺たち取締役も辞表を出したんだ。役員は勝手に辞められるからね。
なんで三沢に付いていくことにしたのか。アイツの方がまともなこと言ってて、元子さんの方が「間違っている」って思ったからだね。元子さんは元お嬢さまだからわがままなんだよ。三沢とは男の付き合いだったしね。選手会長だったから「こういうことになったから出ていくぞ。出ていきたくないヤツはしょうがない」と通達した。ほとんど出ていったね。専務、リングアナ、レフェリーやら、スタッフも付いてきたんじゃないかな。
残ったのは川田(利明)と渕(正信)さんぐらいじゃない。川田には声をかけたんだけど「いや~」とか言っているから「これはダメだな」と思った。なんでかは俺にもよく分かんねえ。深く追及はしなかったよ。裏切りとかそういうのはないからね。人それぞれの考え方があるからしょうがないよ。
川田とは「あぁ、これで終わりだな」って気持ちもあったね。でも三沢が会社を興して、新しいところで頑張らなくちゃいけないからそっちの方が頭を占めていた。こうして三沢を中心に新団体「プロレスリング・ノア」がスタートした。大変だろうけど、頑張らないといけないなって思ったね。希望もあるけど不安もあるよ。そこは半々だったね。














