【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(9)】1993年6月には三沢(光晴)と小橋(建太)が挑戦する世界タッグ王座戦(日本武道館)があって、この頃から全日本プロレスで「四天王」って呼ばれ出すようになったんだよ。四天王(※1)ってのはこっぱずかしくってあんまり好きじゃなかった。本当は「四バカ」だよ。一番大バカなのは俺かもしれないけどね。
小橋だけは離れてるけど、みんな年が近いからお互いにライバル心があったんじゃないの。お互いに「そうはいくか、負けてはいかん」ってやっていたと思うよ。少なくとも俺はそう思ってた。「三沢や川田なんかには負けたくねえ」ってな。なんていうの、切磋琢磨? かっこいいけど、そんな感じだったね。
プロレスに関しては川田が一番ライバルだったかな。三沢はやっぱり女だな、モテるから。そっちの面でライバル意識があった(笑い)。小橋はけっこう年が下だし、元気のいいあんちゃんだなって思ってた。4人で40分超えた試合が続いたけど、当てないでほしかったよね(笑い)。やっちゃったことだけど、よくやったよね、四天王プロレスは…。相手がやるから俺もやって、それでも起きてきやがるからエスカレートしちゃったね。
新技の断崖式喉輪落としは渕さん(渕正信)が考えたんだ。信頼っていうのか、渕さんの考えることは俺の理にかなってたんだよね。「エプロンまで行ってやったらいいんだよ」って言われて「それって反則じゃないんですか?」って返したら「反則も10カウント(実際は5カウント)までならいいんだよ。それやって、お前が先にリングに上がって相手が戻ってこなかったら勝ちなんだよ」って。渕さんらしいよね。「それいいな」って使い出した。
全部が全部ではないけど、他の技もいろいろ考えてくれたね。渕さんも同じ聖鬼軍だったからさ、近場にいる先輩だったんだよ。カブキさん(ザ・グレート・カブキ)に教えてもらってたからその流れじゃない。でも渕さんは自分が使ってる地味な技は教えないんだよ。俺に笑われると思ってたのかもな。ダイナミック・ボムは獣神サンダー・ライガーのライガーボムをテレビで見て「あれ、いいんじゃねぇか!」って。「違う団体だから、いいだろう」って、パクったんだ(笑い)。
闘魂三銃士(※2)には、そんなにライバル意識はなかったかな。マスコミが騒いでるのは知ってたけど、他の団体と比べるっていうのはしたことなかったから。新日本は新日本、俺は全日本で頑張ろうと思ってたよ。
※1…全日本プロレスの田上、三沢光晴、川田利明、小橋建太の4人の総称
※2…新日本プロレスの武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人の総称













