【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(7)】1990年8月「超世代軍」の合宿中に(ジャイアント)馬場さんから「帰ってこい。ジャンボ(鶴田)と組め」って突然言われた。なんで俺と鶴田さんなのかなって思った。でも、谷津(嘉章)さんもいなくなっちゃたし、背がデカかったから選ばれたのかな。

 ああいう人と組むと結構きついものがあるよね。やっぱり相手チームに狙われるのはどうしたって俺になるんだもん。それは結構ハードでしたよ。でも、まあ鶴さんはいろいろなことを教えてくれたよ。「こういうふうに来たらこういうふうにやり返せ」とか。ただ「一緒に飲み行こう」とか「飯食いに行こう」とかはまったくなかったけどね。

 1回だけ一緒にゴルフへ行った帰りにラーメンおごってもらったことがあったな。でも帰りは前が見えないぐらいの土砂降りになっちゃった。めったにないことしたから急に天気がおかしくなっちゃったんだね(笑い)。

 ともかく、このチャンスは馬場さんにもらったものだったよ。三沢(光晴)と川田(利明)と45分時間切れで引き分けの試合(90年9月、後楽園ホール)もしたね。きつかった。鶴さんはタフだったよね。

 同年12月の最強タッグ(世界最強タッグ決定リーグ戦)はアンドレ(ザ・ジャイアント)と組んだ馬場さんと初めて対戦した。師匠だしやりづらかった。鶴さんとアンドレにバックドロップを仕掛けたんだけど押しつぶされちゃった。試合の後で「おい玉(田上の愛称)つぶれんなよ」って言われたけど「鶴さんがつぶれたんやないか」って言いたかったね(笑い)。

 91年春のチャンピオン・カーニバルは初めて鶴田さんと戦ったけど、軽くひねられたよ。当たって砕けろだよね。勝てるとかそんなんじゃなくて、どうやって苦しめるかだったね。相手は俺の技なんて100も知ってるから。結局、鶴さんにシングルで勝つことはなかった。“鶴田超え”を果たしたかったかって? それはあるね。勝ってみたい一人だった。三沢が勝って「次は俺だ」って思ったけど、そうはいかなかったね。

テリー・ゴディ(左)に合体技を決める田上明(中)とジャンボ鶴田(1992年3月)
テリー・ゴディ(左)に合体技を決める田上明(中)とジャンボ鶴田(1992年3月)

 世界タッグは近いようで遠かった。でも4回目の挑戦(VSテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス、92年3月、日本武道館)で取れた時はうれしかった。やぶれかぶれで、何も考えずに行ったのがかえってよかったのかもしれないね。

 でも、鶴さんは92年11月から欠場してタッグは解散になった。試合に出られなくなって入院だって。そのうち(2000年5月)に亡くなっちゃった。まだ若かったのに…。闘病生活も長かったよね。鶴さんがいなくなった最強タッグは秋山(準)と組んで出たんだ。まだ若造だったからね。俺がやられねえから試合が楽になったよ。