【プロレス蔵出し写真館】8月15日、新日本プロレスの天山広吉がプロレス生活に別れを告げた。
引退セレモニーにはプロレス学校で同期だったケンドー・カシン(石沢常光)、元UWFインターナショナルの金原弘光が参加していた。この2人は1995年(平成7年)10月9日、東京ドームで開催された〝伝説〟の新日本VSUインター対抗戦の第1試合で戦った。
「かねはら整骨院」を経営する金原は、永田裕志の公式ユーチューブに出演し、対抗戦に出場することになった経緯を語った。
「僕ら一人ひとりに『話がある』って急に道場に呼び出されて行ったら安生(洋二)さんと高田(延彦)さんがいて『Uインターが経営危機にある。それを打破するには新日本との対抗戦しかない。お前それやってくれるか?』っていう話で、僕は『わかりました。やります』と答えた」と明かした。
異常なほどの人気を呼び超満員札止め6万7000人の大観衆を集め、メインで武藤敬司が高田延彦を足4の字固めで下すと大歓声がこだました。
それ以降も両団体で何試合か対抗戦が組まれ、Uインターが勝ち星では新日を上回った。翌96年1・4東京ドームでは高田が武藤に雪辱を果たし、IWGPヘビー級王座を奪取する。3月1日、Uインター日本武道館大会で、越中詩郎を腕ひしぎ逆十字固めで破り初防衛を果たした。
4月29日、新日東京ドームで橋本真也とのV2戦を控え、4月19日のUインター大阪大会では高田と長州のタッグ頂上決戦が行われた。長州のパートナーは佐々木健介。高田が従えたのは金原だ。
対抗戦で最前線に立ったのは武藤、橋本だが、新日の〝ドン〟は紛れもなく長州力。高田はいつになく厳しい表情だった。2人は積極的に絡む。長州がサソリ固めを仕掛けると、高田も簡単には決めさせず下からヒールホールドを狙う。腰投げから腕ひしぎ逆十字固めにいく高田だが、長州も簡単に腕は取らせない。
長州のトーキックをキャッチした高田がドラゴンスクリュー。長州は反撃のバックドロップ。7分過ぎに試合のハイライトがやってきた。高田が右ローキックから左ミドル。そしてハイキック。激しいキックのコンビネーションで長州を追い込んだ。そして右のヒザ蹴りが長州の顔面に決まった。
すると長州の前歯、計5本(差し歯)が吹っ飛んだ(写真)。長州は何事もなかったかのように、健介とタッチしたがコーナーでは口元を気にしていた。
試合は、健介が金原をパワーボムからエビ固めで押さえ込み10分40秒、新日軍が敵地で勝利した。
さて、4・29は高田が橋本に三角絞めで敗れ王座を失う。初戦は大成功に終わった新日との対抗戦だが、Uインターの経営回復とはいかなかった。10・9で武藤に敗れたという事実は、〝最強〟をうたう高田のイメージを急落させ、団体のブランドイメージは凋落した。結局、この年の12月25日の福岡、27日の後楽園大会を最後に解散となった。
長州が高田と直接電話でやりとりし、「よし(ドームを)押さえろ!」と営業部員に命じて開戦した対抗戦。その際「もう逃がさない。潰してやる」と宣言した長州の思惑通り、91年5月の旗揚げ戦から5年8か月でUWFインターはその歴史に幕を閉じた。
ところで、その後、まさかの形で高田と長州が絡むこととなる。コアなプロレスファンからは嫌悪されていた「ハッスル」の舞台。
2004年(平成16年)9月20日、横浜アリーナ大会でのこと。リングインした高田総統(高田延彦)に長州が向かって行った。高田モンスター軍の「壁」で立ち往生すると、高田総統から水をぶっかけられ、屈辱的な言葉を浴びる。
「黒パンツのロートル。頑固な君にあの下品なポーズができるのか」と捨てゼリフを決められ長州がキレた。「ハッスル・ポーズ」に期待する観客が大歓声を上げる中、J・オー(小川直也)の制止を振り切ってリングを降りた。ハッスルキング・橋本真也が長州の前に立ちはだかりリングに戻そうとするも「やってられるか」と橋本の胸ぐらをつかむ激怒ぶり。長州コールに応えることなく花道から消えた(※その後も継続参戦)。
いずれにしてもUインター、ハッスルは日本プロレス界の歴史の1ページとなり、どちらも高田延彦が活躍した。現在、プロレスと距離を置く高田には残念としか言いようがない(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













