【プロレス蔵出し写真館】「あんなのプロレスじゃない」。長州力が「力道山メモリアル」(1996年6月30日、横浜アリーナ)で、そう〝インディー批判〟したことに大日本プロレスのグレート小鹿社長がかみつき、翌97年の1・4東京ドームで新日本VS大日本の対抗戦が実現した。

 対抗戦は全部で4試合。大日本勢は田尻義博(後のTAJIRI)が大谷晋二郎、中牧昭二は蝶野正洋に敗れ、ケンドー・ナガサキは後藤達俊に勝利した。最後に登場した小鹿の相手は〝獄門鬼〟マサ斎藤だった。

 ドームに勇壮な軍艦マーチが鳴り響く。花道を歩く小鹿のいで立ちに爆笑と大ブーイングだ。短く刈り込んだ頭はオレンジに染められ、タキシードの下には十数個の手りゅう弾がくくりつけられていた。当然、これはボディーチェックでレフェリーの山本小鉄に没収された。

 試合が始まると斎藤が一方的に攻め立てる。グラウンドでのヘッドロック、アームロックにストンピング、そしてチョップ攻撃。大日本のセコンドが加勢に入るも、斎藤に次々とボディースラムで投げ捨てられた。小鹿はこのスキにチェーンを持ち出し、斎藤の首に巻きつけて絞め上げる。小鉄は小鹿に張り手を見舞い、オレンジ色の髪の毛を引っぱって制止した(写真)。

 チェーンを奪われた小鹿は万事休す。右足首をガッチリ捕らえられ4分25秒、アンクルホールドにギブアップした。斎藤は試合後、「オレはレスラーとやりたかった」と小鹿をバッサリ斬り捨てた。

 長州は「インディーとのことは何もいいたくない。ただ、あくまでオレ個人の考えだけど、体ひとつでぶつかり合って強さを競い合うのがレスラーだ。(今後インディーとは)今は頭にないな」と終結を宣言した。

 84歳で、現役最年長レスラーとなった小鹿が30年前を振り返った。

取材に応じた小鹿(2026年9月、横浜市)
取材に応じた小鹿(2026年9月、横浜市)

小鹿 あくまでもオレは長州が「インデ―(※インディー)何者じゃい。レスラーじゃないんじゃないか」ぐらいクソミソに言ったから、「ふざけんなよ、この野郎!」って歯向かっただけ。最初から手を振って「ハイ、いらっしゃい。オレオレ」ってそんな〇ジキみたいなことしないですよ(※対抗戦をアピールしてはいない)。オレはプロレスを辞めて7年、8年たってるんですよ。向うが狙ってんのはターザン後藤ですよ。オレはあくまでもインデーって団体をバカにするなって言っただけですよ。

――商売にしようとは思わなかった

小鹿 当たり前ですよ。冗談じゃねぇよ。長州と話したり、永島(勝司取締役企画部長)君と話したりして、長州に「テメェーこの野郎! テメェーが出て来い!」って言われたから、「ふざけんなバカ野郎! やってやるよテメェー」って。それだけの話でしょ。あの時、オレ、なんの車乗ってたか知ってる? キャデラックですよ。チャンチャラおかしいよ。

――対抗戦のギャラで買った

小鹿 全然違います! パチンコ屋(函館で開業)辞めてからキャデラック乗ってました。その後じゃございません。誤解か八階かわからないけど、オレはそんなことしませんよ。チャンチャラおかしいよ。

――松永選手がトーショーで永島さんが大日本に提示したギャラは500万だったと言っていた

小鹿 ウソばっかし! もらってませんよ。そんなもの。

――ケンドー・ナガサキ、桜田(一男)さんは自著で支払われたギャラは1000万。その中から田尻は5万。中牧20万。桜田さんは50万しかもらってないと。残りは小鹿さんがもらったと書いていた

小鹿 1000万…。チャンチャラおかしいよ。2000万出るわけがない。

――いや、1000万です

小鹿 0が違う。今でも坂口(征二)は会ったら言うよ。「小鹿さん。小鹿さんには悪いけど、今までやった正月の記念大会で一番金が残ったのは小鹿さんの(大日本との)試合でした」って。ということは裏を返せばオレがあんまりもらってないってことだよ。じゃない? オレはそんなことしないよ。2000万とか3000万とか、1000万の話とか、チャンチャラおかしいよ。ハッキリ言って、オレは(人間だから)ウソをつくことは多少はあるだろうけど、0の違う話はしないよ。オレ、まだ大日本の借金払ってんだよ。情けないよ。オレが家(マンション)買ったって聞いた?

――聞いてないです

小鹿 家賃払ってますよ。それぐらいもらってたら買ってますよ。あの頃は1000万、2000万で家が買える時代でしょ。

――対抗戦をやったことに対して

小鹿 結果的に勝ち負けはついたけども、ケガしないでよかったと思う。今でも斎藤選手とやった場面、山本にオレンジに染めていった髪の毛を両手で引っ張られて、首に力入れて抵抗した場面。無駄な抵抗だったけど、あれはオレのクソ意地ですよ。「この野郎」と思ったから。今でもあの試合の夢を見ますよ。花道歩いてきて、オレ1回止まったなとか。マフラー首にかけてね。猪木さんはオレの後だな(笑い)。マフラーはオレが先。オレの唯一の優越感ですよ。全部思い出す。

 小鹿はそう当時を回想した。対抗戦の話を聞いたが、最後は2022年(令和4年)10月1日、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全で亡くなったアントニオ猪木さんに触れ、思い出話を語ってくれた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る