【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(4)】高校を卒業して2浪となった俺は、何をやっても成功していない。進学ができないなら、仕事をしないといけない。中途半端な自分に対して、焦っていたんだな。そんな中でもプロレスは見てて楽しく面白かったから、俺はプロレスラーを目指すことにした。

 新日本プロレスの事務所は当時、南青山にあった。俺は事務所に行って面接をし、次に入門テストに臨んだ。道場でのテストではスクワットや腕立てとかのトレーニングばかり。今まで取り組んできたことでもある。能力的に問題なかった。正直、それでレスラーの尺度が測れるのかと思ったよ(笑い)。俺には柔道やレスリングの経歴はなかったけれど、見てわかるような身体能力、やる気とか最低基準の検査でクリアしてもらえたと思っている。

 ただ、テストは道場で山本小鉄さんと2人きりだ。淡々と厳しくて、緊張しかなかったね。その後、俺らがデビューして10年たってポジションができていても、小鉄さんがテレビ解説で会場に来るというだけで緊張したもんな。下手に遊びが入ったら注意されるんだ。

バーベルを挙げる練習生時代の蝶野正洋 奥右から武藤敬司、船木誠勝、橋本真也
バーベルを挙げる練習生時代の蝶野正洋 奥右から武藤敬司、船木誠勝、橋本真也

 小鉄さんは竹を割ったような方で「ダメなものはダメ」という人だ。上の世代の先輩らも小鉄さんが来るということで全てが変わっちゃう。だから試合会場で小鉄さんの姿を見ただけで、本当に気が引き締まったな。試合で自分がミスしたな、ダメだなと思うところがあれば、バンと言ってくれた。小鉄さんから言われたらもう何も言えなくて「すみません」となっちゃうんだよ。

 テストの合格通知は郵送で来たので、親にばれないように毎日ポストを確認した。実際に合格通知を手にした時は「やった!」と思ったけど、親の署名が必要な返信用の承諾書も入っていた。承諾書には、道場での練習でケガや死亡事故があったとしても一切責任を問わないなどと書いてあったね。俺は内容よりも「親」というものに悩み、戦略を練った。

 最後の方に受験した大学の合格通知が来たので親に見せて「よくやった、安心だね」と喜んでもらった後に新日本のことを切り出した。2人とも固まってたよ(苦笑)。親からはサッカーも受験も中途半端しかできないお前に何ができるんだとか言われたな。それで承諾書の「死亡等の際には…」のところで「お前、なんだこれは」と言われたのは覚えている。母親は泣き出した。俺もやめるつもりはなくて、ようやく交渉が始まった。

 俺は「1年でいいからチャンスを。1年でダメなら諦める」と言ったら、ビジネスマンのおやじは「1年じゃダメだ、半年だ」と返してきた。それで承諾書に署名してもらい、新日本への道筋ができたので後は折り合いつけた。ついに入門へとこぎつけたんだ。