7月11日は人気プロレスラーだった〝破壊王〟こと故橋本真也さんの命日。2005年に旅立ってから、今年で没後20年を迎えた。〝黒のカリスマ〟蝶野正洋(61)と〝元暴走王〟小川直也氏(57)は、小川氏のユーチューブチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」で、ライバルにして盟友だった破壊王の〝最期〟を振り返った。
動画内での蝶野の話によると、橋本さんとは亡くなる1か月前に今後について相談されていた。当時の橋本さんは自身が創設したZERO―ONEから「クーデターを起こされて」(蝶野)追放されており、左肩の負傷もあってリングから遠ざかっていた。会った際には、不整脈の症状で出ていて顔色も悪かったという。
亡くなった当日は、新日本プロレスの坂口征二相談役から連絡があり、盟友の死を知った。慌てて病院に駆けつけたが、蝶野には別の不安があったという。「借金取りに巻き込まれるかもしれない」。05年5月の新日本プロレス東京ドーム大会に「そこで武藤(敬司)さんも試合あったから、(橋本さんにも)リングに上がろうよと。三銃士の時代も終わりかけていたから、最後に花火を上げようと」と、武藤、蝶野、橋本による「闘魂三銃士」の再集結を画策した。
橋本さんもこれを承諾したのだが、ドーム大会当日、開場2時間前に連絡があり「蝶ちゃん、やっぱりドームには行けないわ。今、表に出るといろいろ厄介なことが…」と伝えられて来場を断念。蝶野もそこで橋本さんの金銭事情を察したという。意外過ぎる理由で三銃士の再集結は幻に終わっていたのだ。
実際に、橋本さんの遺体が移されたお寺にも「借金取りが来て…。それらしき人はいっぱいいた」(小川氏)。蝶野が「いたの!? 俺は見なかったけど…」と驚くと、元暴走王は「いました、いました」と強調。だが、最期まで橋本さんへの支援を続けた有力スポンサーが「もういいです」と橋本さんの負債を放棄する旨を申し出ると、他の債権者も「渋々『いいです、いいです』となった」(小川氏)という。
ハチャメチャでもどこか憎めない、破壊王らしい最期のエピソード。蝶野と小川氏によると、橋本さんは亡くなる前日も夜中までファミレスでナポリタンスパゲティをおなかいっぱい食べていたとか。蝶野は「じゃあ、大丈夫だ。悔いなく死んでるな。橋本選手なんかは空腹だとのろって出てくるかもしれない」と笑顔で振り返る。その上で小川氏を「橋本選手と多分、一番長くいれた選手」と評すると、元暴走王は「お兄さんみたいな感じ。弟みたいにかわいがってくれた」と、日本中を沸かせた大抗争からOH砲の絆を築き上げた盟友に思いをはせていた。












