2005年に脳幹出血のため40歳の若さで急逝した〝破壊王〟橋本真也さんは、11日に没後20年を迎えた。型破りな言動と武勇伝は今でもマット界で語り草となっているが、橋本さんの私設マネジャー的な存在だった新日本プロレスOBの田山正雄レフェリー(54=フリー)がインタビューに応じ、破天荒エピソードを大暴露。〝側近中の側近〟が語りつくす破壊王の〝トンパチ伝説〟を2回にわたってお届けする。
【田山正雄レフェリー「破壊王伝説」インタビュー前編】
――田山さんは家族といるよりも橋本さんといる時間が長いと言われるほど親密な間柄だった
田山レフェリー(以下、田山) マネジャーというか、私生活の付き人ですね。本当にいつお呼びがかかるのか分からないので、24時間態勢でスタンバイしてました。ある意味、橋本真也に就職したみたいなもんでした。
――夜中に無理難題を押し付けられたことも多かったとか
田山 しょっちゅうです。夜中に「スタンガン買ってこい」とか「大人のおもちゃ買ってこい」とかありましたよ。でも、これをこなせるのは僕しかいないと、逆にうれしかったです。だから池袋の防犯ショップとか回ってスタンガンも用意しました。
――そんな中で一番困ったことは
田山 自分にピッタリの枕が新宿の伊勢丹に売っていることが分かったんですが、閉店30分前でその日はとても買えない。でも、橋本さんは「伊勢丹に電話しろ! 橋本が行くから店を開けてろって」と。橋本(龍太郎)首相じゃないんだから無理に決まってますよ。でも、一応「橋本が行くから」って伊勢丹に電話はしました。車で橋本さんと伊勢丹に向かうと閉店時間はとっくに過ぎてたんですが、本当に開けて待っててくれました。あれには驚きました。
――橋本さんといえばイタズラが有名だった
田山 空気銃で撃ったスズメを焼いて天山(広吉)選手に食べさせたりしてましたね。僕は橋本さんが改良した蛇バサミで、山の中で蛇を捕まえさせられました。で「スタンガンを撃て」と。そんなのできないですよ。「蛇は神様ですからできません」ってさすがに断ると「神様は白だけや」って。意味分かりません(笑い)。結局、逃がしましたけど「神様は白だけや」って言葉、今でも忘れません。
――新日本道場は多摩川のそばにあり、橋本さんは台風が来ても釣りをしていた
田山 台風が来ると鮎が下りてくるんです。橋本さんは自宅が浸かりそうなのに、ライガーさんと僕を連れて豪雨の中、投網を打ちにいきました。結構、捕れて橋本さんが料理して食べた記憶があります。
――食にはかなりこだわりがあった
田山 食のモットーが主婦とは真逆の「迷ったら一番高いものを買う」。バーベキューの時は肉屋で「ここからここまで全部くれ」ってマイケル・ジャクソン買いですよ。スーパーのレシートなんて床についてましたから。1回のバーベキューで何十万ですから、奥さんがキレてましたよ。
――金銭感覚がまひしており、1999年には使い込みがバレて、選手会長を解任された
田山 悪気はないんです。橋本さんに言わせれば、後輩選手におごった食事代を選手会費で払って何が悪いのかっていう考え。巡業に行けば橋本さんの後ろに20人くらいの大名行列ができて、食事に行ってましたから。食事の後はコンビニ行って、おのおのが朝食などを買って、会計は全部橋本さん持ち。中にはどさくさにまぎれて電話代を払うヤツもいたとか…。橋本さんの財布には、常に100万円くらいありましたから。
――見栄を張るタイプでもあった
田山 プロレスラーのイメージをよくする意味でも、買い物は成城石井で新幹線はグリーン車。猪木さん、天龍さんと同じですね。ただ猪木さん、天龍さんは高速のサービスエリアでは絶対に食べなかったけど、橋本さんはしっかり食べてましたね(笑い)。
――ところで若手時代に車を運転中、暴走族にあおられ、同乗者の長州力が「ひいちゃえ」と冗談を言ったところ、本当に4、5人ひいたという都市伝説がある
田山 本当らしいですよ。「暴走族とバトってやってやった」と堂々と言ってましたから。そんな逸話はまだまだありますから。














