【プロレス蔵出し写真館】「桜がまだ咲かないな~」。冬木を見舞ったプロレス担当記者(当時)の楠崎弘樹は、病室から見える桜の木を眺めながら、そんな会話を交わしていた。それから10日前後で冬木が逝った。

 3月19日は〝理不尽大王〟冬木弘道の命日だ。今から22年前の2003年(平成15年)にがん性腹膜炎で死去した(享年42)。
 
 冬木は前年02年4月9日、後楽園ホールで開催された冬木軍の興行で大腸がんを告白した。

 4・7ノア、有明コロシアムでの三沢光晴戦を終え、8日に総合病院で精密検査を受け、宣告されたという。控室で「オレはがんだ。すぐに手術を受けなければいけない。今日が最後。本当に終わり」。冬木は「引退」の2文字を口にして嗚咽を漏らした。

 現役生活を断念した冬木は同月14日、三沢社長の計らいでノアで引退試合(ディファ有明)をやった後、16日に入院して18日に手術を受けた。その後は、旗揚げした団体WEWのプロデューサーとして手腕を発揮していたが、9月にがんは肝臓に転移した。

 翌年2月2日、ZERO―ONEのリングに乱入した冬木は橋本真也に私服姿でラリアートをぶち込んだ。冬木は「次は正式に復帰だ」。そう宣言した。

 ところが28日には腸閉塞が発覚して容体が悪化する。尿がまったく出ず、膀胱と腸に管を通さなければ48時間の命と宣告された。にもかかわらず、冬木は翌月の3月11日、病院を抜け出してWEW後楽園大会のリングに自力で立った。脂汗を浮かべ顔面は蒼白。いかにもつらそうだった。

 そこに橋本が花束を持って登場した。「くだらねえ理由はなしだ。冬木さんの情熱わかりました。文句を言うなよ。男が命をかけたんだ。奥さん、いいでしょうか」と、橋本は会場の片隅で夫を見守っていた薫夫人に確認。「よろしくお願いします」。薫さんは頭を下げ泣き崩れた。

 橋本は「挑戦を受けます。5月5日のリングに立っていれば、それだけで冬木さんの勝ち」と対戦を受諾した。

「プロレスうんぬんじゃなかったはず。覚悟してましたから」。楠崎は冬木の悲壮な決意を思い出していた。 

 14日に手術を受けた冬木だが、16日に昏睡状態に陥ると18日には危篤となった。

 19日、楠崎が病室前で待機していると、病室から出てきた橋本が「冬木さんが必死で病気と闘ってんだから、その姿をちゃんと撮らなきゃ」。そう言って帰った。

 病室に入ると、黒田哲広と金村キンタローがいた。金村はいびきをかいて寝ていた。ずっと付き添っていて疲れがたまっていたのだろう。

「闘ってる姿を記念に撮ってください。パパ、お仕事よ。格好いい姿を撮ってもらってね」。薫さんに促され、酸素マスクをつけた冬木の姿を撮影した。「シャッターを押す手が震えた」(楠崎)

 それから3時間後に容体が急変。冬木は息を引き取った。

昏睡状態の冬木に呼びかける薫夫人(2003年3月、横浜市民病院)
昏睡状態の冬木に呼びかける薫夫人(2003年3月、横浜市民病院)

 さて、5月5日のWEW、川崎球場大会は「冬木追悼興行」として行われた。ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで橋本と対峙したのは金村だった。

 ゴングが鳴る前、橋本はマイクで薫さんに「奥さんすいません、冬木さんの遺骨貸してください」と頼んで遺骨を受け取ると、「おい、スイッチ入れろ!」とスタッフに指示。遺骨を天に掲げて目を閉じる。

「オッシャー!」。橋本は雄たけびを上げると、遺骨を抱えて自ら有刺鉄線に背中から当たりに行った。激しい爆音とともに被爆。場内からは橋本コールが湧き起こった。橋本は〝お前もやれ〟とばかりに金村に合図を送ると(写真)、金村も遺骨とともに有刺鉄線へ。なぜか不発で、3回目で被爆した。

 その後、橋本は金村のTシャツを脱がせてケサ斬りチョップを叩き込む。胸板には重爆キックだ。ほぼ一方的な展開となったが、金村は金的攻撃から有刺鉄線バットをセコンドから受け取ると橋本を殴打。バットの上にボディースラム。ダッシュしてラリアートを連発する。

 橋本は余裕で受け流し、金村を再び被爆させると、DDTから垂直落下式DDTを決め、8分41秒で勝利した。

 橋本は「金村! お前が最後締めろこのヤロー! 立て! 金村! 起きろコラー!」と吠え、リングサイドの冬木さんの遺骨と薫さんに一礼して引き揚げた。

 ところで、冬木が最後の相手として橋本を指名したことを機に、橋本と薫さんは親密な関係となり、05年6月に婚約した。

 後年、東スポの取材に答えた薫さんは「周囲から批判を受けましたが、これが運命。いいか悪いか分かりませんが、橋本さんを支えていこうって決めたんです」と語り、04年12月、橋本が右肩手術を終えた病室に入ったとき、恐ろしいほど冬木の最期の姿とダブったと明かした。

「酸素マスクを口に当てた姿を見たとき『あ、パパだ!』って思うほど似てました。運命的な〝何か〟を感じました。パパが橋本さんを最後の相手に指名しなければ、橋本さんとは出会わなかった。今考えると、パパは橋本さんがこうなることを知って、私に面倒を見させたのかもしれません」と薫さんは打ち明けた。

 橋本は05年7月に脳幹出血で急死(享年40)。最期をみとったのは婚約者の冬木薫さんだった。仏壇には冬木と橋本の遺影を並べていると話してくれた。

 橋本戦に向けた冬木のアクションは「エンタメプロレス」を追求、浸透させようと奮闘した冬木の面目躍如。人の死、恋愛、リアルな状況を盛り込んだ〝冬木プロデュース〟による壮大なアングルだった。

「あの試合には感動しました。プロレス(担当)やってて5本の指に入るかな」と楠崎は回想する。確かに泣けた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る