【プロレス蔵出し写真館】会見場は重苦しいムードに包まれ、主役の3人は沈痛な表情だった(写真)。

 今から28年前の1995年(平成7年)4月23日、馬込の東京イン・アネックスでFMWを電撃退団したターザン後藤、ミスター雁之助、オーニタ・ジュニアこと市原昭仁の3人が緊急会見を行った。後藤は落ち着いた表情で、用意した声明文を読み上げた。前日の22日にFMW株式会社に辞表を提出したこと、退団理由として大仁田厚と意見が合わなかったことを挙げ、新団体を作ったり、他団体に上がる話はないことを強調した。

 後藤は「本当に辞めると決める前の日の夜まで、川崎の相手は俺しかないと思ってた。それが一夜で変わったというのは本当の〝アレ〟がわかったからです。俺たちがそう決意しなければならなかったことを理解してほしい。FMWがイヤになったわけではない」と心境を打ち明けた。そして、退団の本当の理由は「墓場まで持っていく」と口を閉ざしてしまった。

 後藤は、5月5日の川崎球場で引退する大仁田(※FMWでの一回目)の対戦相手だった。4月7日に発表され、その場で両者は調印書を交わした。後藤は巡業に帯同してシリーズに参加していたが、同月21日の後楽園大会を〝謎の〟無断欠場。旗揚げから大仁田の女房役として支えてきた後藤が突如、離脱するという前代未聞の事件だった。 

 のちに、当事者の雁之助は自身のユーチューブで、(川崎大会の)2週間くらい前に、地方の体育館の控室に後藤以外の選手(ユニット「鬼神組」で後藤とタッグを組んでいたリッキー・フジは呼ばれなかった)が集められ、大仁田の口から、自分が引退したあとのFMWの方向性が語られたと明かした。内容はハヤブサをエースにして後藤を排除するというものだった。

大仁田はハヤブサと引退試合を行った(95年5月、川崎球場)
大仁田はハヤブサと引退試合を行った(95年5月、川崎球場)


 
「その話を聞いて(気持ちが)揺れた」(雁之助)

 リング上では「鬼神組」と敵対していた雁之助だが、後藤からプロレスを教わり付け人も務めていた経緯があり、〝後藤排除〟を聞いて、黙っていることができなかったようだ。20日新潟大会の試合後、後藤はそれを聞き、翌日、後楽園大会の当日昼から五反田のホテルで会談がもたれた。

 後藤ら3人と新山勝利、会社側は荒井昌一企画部長、高橋英樹本部長が出席して3時間にわたる話し合い。雁之助が口火を切った。「俺もう辞めます。FMW辞めます」。それを聞き、後藤が「お前辞めるんだったら、俺も辞めるよ」。市原も「俺も辞めます」と追随した。新山だけは「後楽園に行って大仁田さんと話をしたい」と席を立ったという。結果、3人は翌日辞表を提出した。
 
 雁之助は「(後藤さんは)オウム真理教の麻原彰晃のキャラをやれと言われたとか、ハヤブサがエースになるのが嫌で辞めたとか、そんなのは一切ない」と臆測を一刀両断。そして、「今、考えると大仁田さんが言ってたこともわかる。後藤さんの立場からみると『そりゃないよ』というのもわかる。自分は二人の板挟みになって、どうしていいかわからなくなった」と振り返っていた。

 さて、ここで新証言。川崎大会の前日の4日、川越で後藤と会食したという東スポのN記者は、「どうしてFMWを辞めることになったの? そう聞くと、後藤は大仁田がオレのいないところで、『後藤がFMWを乗っ取ろうとしている』とふざけたことを言ってるらしい。それが悔しくて雁之助たちが辞めると言ったから、俺も辞めることにしたと言ってました」と明かす。

「自分はプロレス担当を離れていたので、それ以上、深くは聞きませんでした。後藤には、大仁田への怒りというよりは、自分を信頼してくれている人間を見捨てるわけにはいかない、という気持ちを感じました。一人の若手が付いて行くと言ったみたいだけど、『俺たちはこれからどうなるかわからない。若いお前は大きいところにいた方がいいから残れと制した』とも言ってたな。もう気持ちが吹っ切れたのか、サバサバした感じでした」(N記者)

FMWを退団した後藤ら3人はIWAジャパンのリングに殴り込み(95年5月、後楽園ホール)
FMWを退団した後藤ら3人はIWAジャパンのリングに殴り込み(95年5月、後楽園ホール)

 後藤本人がN記者に明かした「乗っ取ろうとしてる」とは何を意味するのか? これこそが「墓場まで持っていく」理由だったのだろうか…。

 昨年5月29日に肝臓がんで58歳の生涯を閉じた、後藤の1周忌が過ぎた。合掌――(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る