【プロレス蔵出し写真館】今から20年前の2006年(平成18年)1月4日、長州力が現場監督に復帰して取り仕切る、初の東京ドーム大会が行われた。大会のテーマは「新日本 vs インディ」だった。
前年11月14日、創設者のアントニオ猪木から株式51.5%を取得して、新日本プロレスを子会社化した株式会社ユークスの谷口行規社長は、「長州さんが頑張ってもらえれば、面白い試合が見られると信じています」と絶大な信頼を寄せていた。
長州は「いつまでも長州 vs 藤波にこだわっていては、先はない」として組んだのは、藤波辰爾との12人タッグ(45分1本勝負)だった。
リキプロの長州率いるインディ軍は同じリキプロの宇和野貴史、ZERO1―MAX佐藤耕平、佐々木義人、神風。そして大日本プロレスの関本大介組。
藤波率いる新日本軍は西村修、飯塚高史、矢野通、後藤洋央紀、長尾浩志組。
試合はゴングを待たずに大乱闘でスタート。長州が藤波軍の集中砲火を浴び、藤波から〝掟破りの逆サソリ〟を仕掛けられる。何とか意地でハネ返し、最後は長州が長尾にリキラリアートを発射。耕平が長尾にジャーマンを決めてフォールを奪い12分16秒でインディ軍が勝利した。
決着がついた後も乱闘に発展。長州と藤波はともにコメントを拒否して控室に引き揚げた。後日、関本は「人が多すぎてコーナーに立つ場所もなかった。ムチャクチャ」と〝もっともな〟感想を口にした。
さて、翌日、目黒区の新日プロ事務所で開かれた幹部会は5時間にも及んだ。
サイモン猪木社長は「1・4ドーム決戦は前半の部分で同じような試合というか、流れがイマイチだった。長州さんにマッチメークを任せたが、もうちょっと会社側とも意見をまとめて、コミュニケーションしていこう、ということになる」と語り、長州体制にメスを入れることを明かした。
観客は満員の4万3000人を動員して過去2回の東京ドーム大会を上回ったことで、長州の手腕は評価された。しかし、相次ぐ選手サイドからの長州批判をこれ以上、無視できなかったようだ。
長州嫌いの急先鋒、西村は「プラスの面はマッチメーク。マイナス面は、あの人の目を気にしながら行動するヤツが増え始めた。移動バスの中でも、みんなひと言もしゃべらなくなった。控室の中も本当に暗くなった」と明かしていたが、長州は「たかだか(会場にいる)3、4時間がそんなに苦しくなるのか。一人でも柱が残ればいい」と意に介さず、「どうしても受け入れられないなら、出て行ってもらうだけ」と強硬姿勢を貫いた。
長州不在の会議室で、1月シリーズ(28日、後楽園ホールで開幕)から、会社サイドもマッチメークに介入する「合議制」に移行することが決定。獣神サンダー・ライガーが選手会の代表になり、現場監督補佐としてフロントと現場のパイプ役に就任した。
もっとも、長州は契約更改での大リストラを敢行して退団者が続出。保留者も一向に減る気配はなかった。
28日には、突然亡くなったブラック・キャットレフェリーの追悼の10カウントが試合前に行われ、休憩前には25歳で引退を決意したヤングライオン・安沢明也の引退10カウントも鳴らされた。
退団が発表されたのは西村、吉江豊、ヒロ斎藤、後藤達俊、成瀬昌由、竹村豪氏、ブルー・ウルフ、長尾、長井満也、安沢、柳澤龍志(フリー契約)の11人。名物リングアナのケロこと田中秀和氏も辞表を提出した。
4月に長州現場監督の不満をユークスの谷口社長に訴えていた藤波だが受け入れられず、退団を表明。6月21日、東スポの直撃に「我慢の限界」と顔を伏せた。藤波は西村、田中リングアナと合流し、7月5日の会見で「無我の再興に意欲を燃やす」と宣言した。
藤波は1995年(平成7年)に「無我」を旗揚げした。
藤波は当時を振り返り「旗揚げっていっても、新日本プロレス内の別の団体を作ったって感じ。たった3試合しかできなくてね。オレはタリー・ブランチャードとやった。引退して教会の牧師さんやってた彼を、自分がアメリカまで探しに行った。西村がちょうど新日本に凱旋帰国する予定だったんだけど、まだ日本に帰りたくないって言って…。半分、新日本プロレスから追放みたいな感じになった。坂口(征二)社長と話をして自分が預かるような形で無我に参加させた」と明かした。余談だが、棚橋弘至はこの日観戦していたことを明かしている。
「猪木さんが株を手放した時が、自分の中で糸が一本切れた。選手の離脱とかいっぱいあったし。猪木さんがいない新日本プロレスっていうのは、何か…。ここでずっとっていうのがなくなった」(藤波)
ところで、長州は23年に蝶野正洋のユーチューブチャンネルで、「上に立つ人間が好かれようと思ってやっていたら大変なことになる。お前が代わってから、オレから(現場監督を)奪い取ってから好かれよう好かれようとするから(新日本は)ガタガタガタって…」と笑顔で話していた。
ユークスと長州の強権が「暗黒時代」と言われた新日本を救った(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













