【プロレス蔵出し写真館】「暗黒時代」といわれた2004年(平成16年)の新日本プロレス。台風22号の影響により、激しい暴風雨の中で開催された10月9日の両国国技館大会は、リング上までも、特大の〝台風〟が襲った。

 休憩明けに〝まさかの〟長州力が電撃登場したのだ。

 石井智宏を伴って姿を見せると、観客は声を失い、それが、やがて大歓声へと変わった。拒否反応やブーイングはほとんどない。館内に「長州コール」が渦巻いた。リングに上がると〝長州節〟が全開する。

「てめえら、この状態がなにを求めているか分かるか? オレはこの新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞ、今! この右腕を突き上げてんだ、こら!」

 永田裕志がリングに駆け上がった。険しい表情で長州と対峙する。ここで〝長州の名言〟が飛び出した。

「よく上がってきたな。天下を取り損ねた男がよく上がってきた」

 さらに「中にいる人間が信頼されなくて、外に出て行った人間がこのど真ん中に立ったということは、わかるか? 俺を上げた人間が罪を背負うのか、今までこういう状態になった、てめえらが罪を背負うのか! 次にこのど真ん中に立つときは、オレのパワーホール全開で来るからな」。まさに言いたい放題だった。

 会場からは再び長州コールの大合唱。まさかの歓迎ムードに永田は怒りの張り手を見舞う。長州の顔が揺れる(写真)。長州も張り返した。バックステージでインタビューを受けていた獣神サンダー・ライガーがおっとりがたなで駆けつけた。

 マイクで「何が長州力だ! 出たり入ったり出たり入ったりフラフラしてんじゃねー!」と痛烈に言い放つ。長州は「お前ら、反応が遅すぎる」とばかり、サッサとリングを降りた。

 永田は試合後、「オレは確かに天下を取れなかったかもしれない。でもオレが戦ってきたから、新日本が生き残っているんじゃねえか。投げやりで出ていった奴らには言われたくない」と吐き捨てた。

電撃登場した長州(2004年10月、両国国技館)
電撃登場した長州(2004年10月、両国国技館)

 さて、長州は02年5月31日、「欠落人間」とオーナー、アントニオ猪木の人格そのものを痛烈に非難して新日プロを去った。02年11月12日にWJプロレスを設立したが、様々な問題が噴出して、04年6月21日、熊本・興南会館大会を最後に、わずか2年足らずで崩壊した。

 そんな長州の復帰を快く思わない人間は多かった。

 長州の登場を画策したのは、当時マッチメークを担当していた執行役員の上井文彦氏。

 上井氏は「猪木さんに、ちゃんと言ってなかったらできない。倍賞(鉄夫=猪木事務所社長)を通じて猪木さんに、長州を戻すお伺いを立てたら『問題ない』って。長州さんの登場は僕と倍賞しか知らなかった。(登場)直前で永田に言ったぐらい。だからインタビューを受けてたライガーが飛んで来て長州さんに向かって行った。坂口(征二=会長)さんまで怒った」と明かす。

 上井氏は〝外敵〟と言われた天龍源一郎、藤田和之、高山善廣、鈴木みのる、佐々木健介らフリーを優遇するマッチメークで、所属選手からは不満が溢れていた。真壁刀義は「外の人間なんて必要ない。なんで佐々木健介みたいな負け犬が新日本に戻ってんだ。新日本の実力ナンバーワンは天山(広吉)だろ」。そう公然と批判したこともあった。

 ところで、長州はリキプロ(個人事務所)所属としてピンポイントで新日プロに出場していたが、翌05年10月7日、後楽園大会の試合後にサイモン・ケリー猪木社長が会見し、「強い新日本プロレスを戻す。長州力さんを新日本プロレス、立場的には現場監督という形でお願いしていくことになりました。一番の爆弾だと判断しました」と再び新日プロの現場監督に復帰した。

 後年、永田は自身のユーチューブで「(上井さん)辞めちゃいましたね。国技館の翌日ぐらいかな(※3日後)。なぜここで投げ出す?って。いろんな采配してきたけど、新日本のためにマイナスにしかならなかった」と悲痛な表情で語っていた。

 長州の新日プロ復帰は、新日本一筋、いまだに現役として活躍している永田が〝切ない〟と断言した「暗黒時代」を象徴する出来事だった。

 新たなスター、ウルフアロンが誕生した現在の新日プロは、EVILに次いで高橋ヒロムが退団した。長州のようなサプライズ登場は、今後あるだろうか(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る