【プロレス蔵出し写真館】〝不沈艦〟スタン・ハンセンが3月11日、北沢タウンホールで天龍源一郎とサイン会&撮影会を行った。その前日、妻ユミさんと長男シェーバーさんも登壇した伊豆・修善寺でのトークイベントには驚かされた。
さて、昭和の時代〝ミラクル・パワー・コンビ〟として人気を博したハンセンのパートナー、ブルーザー・ブロディはおぞましい事件で他界してしまった。ときおり日本でイベントが開催されるハンセンを見るにつけ、ブロディを思い出す。
この時期には長州力との初対決が実現していた。
今から39年前の1985年(昭和60年)2月、ブロディは全日本プロレス「激闘! エキサイティング・ウォーズ」のシリーズ参戦前、本紙通信員に「あんなミゼットレスラーなんか相手にしてない。日本にいたときテレビで見たことがあるが、まったく問題にならない。五輪代表? それがなんだっていうんだ。プロに入ったらアマの肩書なんて通用しない。頼れるのは自分の力だけだ。叩きのめす」と語っていた。
3・9両国国技館の初のプロレス興行で、ブロディはキラー・ブルックスと組み、長州&谷津嘉章組とタッグでの激突が決まっていた。大舞台の前の手合わせの意味があったと推察されるが、2月24日の茨城・阿見町中央公民館で6人タッグでの初対決が実現した。
ブロディはブルックス、クラウス・ワラスと組み、長州&谷津&キラー・カーン組と対戦した。
試合開始5分に初めて2人の接触があり、ブロディはパンチからロープへ振りカウンターキック。吹っ飛ばされた長州は谷津にタッチした。その後、長州がワラスをサソリ固めに捕らえるとブロディはカウンターキックを見舞ってカット。絡みらしい絡みはこれだけだった。
そして、両国の対決を迎える。
長州と谷津は先に入場。客席でチェーンを振り回すパフォーマンスからブロディがリングに上がると、長州が突っかかって行く。ブロディは逆に顔面をかきむしり、場外に放つ。長州がブルックスを攻め、不意打ちでコーナーのブロディにパンチを繰り出すが、すぐさま髪の毛をつかまれお返しのパンチを浴びた。
長州は果敢にサソリ固めを狙い、一度は決まりかけるもブルックスがカット。ブルックスへのサソリ固めは、ブロディが強烈なカウンターキックでカットした。
この日一番の見せ場は、長州のラリアートをかわしてドロップキックを見舞ったシーン。このやりとりに客席は大盛り上がりだった。終盤ではブルックスにロープに振られた長州がエプロンにいたブロディのキックを浴びた(写真)。
〝不穏試合〟と語り草になったこの試合は、確かに取材した当時はブロディが長州を〝コケ〟にしたという印象が強かった。
2人の最後の対戦となったのは4日後の13日、岐阜・大垣市スポーツセンターで行われた6人タッグ。ブロディ&ブルックス&ラッシャー木村組 vs 長州&谷津&カーン組。試合内容は阿見町のときとほぼ同じで、ほとんど絡みはなかった。
全日プロ名誉レフェリーの和田京平は「ブロディは長州も(ミル・)マスカラスも認めてなかったよね。だから受け身を取らなかった」と明かす。
マスカラス戦は、ブロディのもうひとつの〝不穏試合〟として語られる83年12月5日、福岡国際センターで行われた「世界最強タッグ決定リーグ戦」のハンセン&ブロディ vs マスカラス&ドス・カラス戦。お互いが技を受けようとせず、しまいにはマスカラスがブロディの両腕をロックしたまま膠着状態が続いた。
パートナーのハンセンとドス・カラスがフォローして試合を終わらせた。
ブロディが新日本プロレスに移籍してから「長州はミゼット。星野(勘太郎)と同じ。なぜ周りが長州と対決をあおるのか理解できない」と聞いたことがあった。
ブロディは長州、マスカラスを前座レスラー並に扱っていた。長州はブロディの攻めを受け、試合を成立させたがマスカラスはそれをよしとしなかったのだろう。
さて、ブロディが存命していれば77歳。ハンセンのように、今でも日本でイベントが開催されているだろうか…(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













