〝黒のカリスマ〟こと蝶野正洋(62)が著書『プロレス名勝負とあの事件の裏の裏』(ワニブックス刊)の発売記念イベントに登壇し、故・アントニオ猪木さん(享年79)との思い出を語った。
蝶野は17日に62歳の誕生日を迎えた。フォトセッションでは好物のフルーチェでお祝いされる一幕もあった。
出版に際し、プロレス人生を振り返った蝶野は、最も転機かつ迷惑だった出来事は、2002年2月札幌大会で起こった伝説の〝猪木問答〟だと語った。「もう完全な事故ですね。武藤敬司の行動から〝新日本丸〟という船が沈没しそうな時に舵を取らされた。後から振り返っても猪木さんが言われていることが、何が何だかわからない。投げっぱなしのキャッチボールみたいだったね」と振り返った。
この事件が起こった背景については「猪木さんが公開で人事発動したんだと思う。新日本の部長、取締役クラスが仕事を放棄して、代表取締役、オーナーぐらいしかいないようなクーデターの真っ最中。そこで誰が現場でやる気があるのかって確認をして、最後に『お前が責任を取れ』って言われた。俺は全く手を挙げていなかったんですよ」と苦笑い。現場監督を任された経緯を明かした。
問答の最中も「おかしな流れだなと思いながら、3回ぐらい笑っちゃった。俺はあそこで猪木裁判をやろうと思っていたんだよ。『ここのリングではプロレスをやるんですよね』ってことを話したかったんだけど、猪木さんが話を聞いてくれないの。俺が目測を誤りましたね」と目を細めた。
それでも猪木さんに対する尊敬の気持ちは変わっていない。「うちの子供も19と16の女の子ですけど、猪木さんの名前はやっぱり知っている。プロレス界のトップのイメージを崩さず、死ぬまでアントニオ猪木であり続けた。それは見てて大変なことでした。スーパースターを貫いた生き方は厳しかっただろうし、自分ではまねができない」と永遠のヒーローをたたえていた。














