【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(13)】全日本女子プロレスとの対抗戦は大きな刺激を与えてくれました。(ブル)中野さんと北斗(晶)さんに負けても充実感がありました。もちろん試合内容には納得していなかったので「このままでは終われない」と思っていました。

 対抗戦は他団体も加わり夢のカードが実現していきました。1993年4月2日に横浜アリーナで「女子プロレス夢のオールスター戦」が開催されました。私はメインで(コンバット)豊田と組み豊田真奈美選手、山田敏代選手と対戦。2人は1つ下の世代でしたが、厳しい全女でのし上がってきた選手です。後輩の意識はなく、大きな団体を支える選手と捉えていました。

 結果から言うと、かみ合わなかった試合でした。その原因は私も豊田も全女の元選手という意識ではなくて、現FMW選手として試合をしたことでした。また大会は6時間を超えて、観客の皆さんが電車で帰れなくなったことでも知られています。観戦された方から後日に「時間が気になって仕方なかった」との声をよく聞きました。試合をするほうも見ているファンの方々も、集中力に欠けてしまったことも要因かなとも思います。

全女の豊田真奈美(下)に渾身の逆エビ固め(93年4月)
全女の豊田真奈美(下)に渾身の逆エビ固め(93年4月)

 同年8月22日のFMW西宮スタジアム大会ではアジャコング選手、伊藤薫選手とタッグ戦でした。アジャ選手とは全女で同期。私は全女で早々にリタイアし、どうしても(本名の)宍戸江利花という存在のほうが大きかったので、何年かたってアジャコングという確固たるものが出来上がった、私の知らない選手がいました。他団体の全く知らない選手と戦う感覚でした。最後はリング上でアジャ選手と握手したことを覚えています。

 対抗戦で女子プロレス全体が盛り上がってきた一方、私はあまのじゃくだったので、女子プロレスの対抗戦がブームになっていくと、私の気持ちが引いてしまった。みんなが「ワー!」と声を上げると、逆に「対FMW男子」に向けての気持ちが強まっていきました。

 対抗戦はFMWの女子選手が出ていく場としてはとてもいいことだと思いましたが、逆にそこは私が行かなくてもいいのではないかと。私がFMW側に入った時からの大きな目標が「女子の試合でメインを取る」でした。対抗戦で女子の可能性も見いだせたので、団体内で男子に勝ちたいという気持ちが大きくなっていったのです。

 ところが、そのFMW男子では大きな出来事が起こります。団体をつくった大仁田さんが引退することになりました。最初に聞いた時は信じられませんでした。FMWのキャッチコピーは「何が飛び出すかわからない」でしたし、最初に聞いた時は「これは大仁田さんならでの話題なのかな」と思ったほど現実感がありませんでした。

 

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