【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(9)】1990年3月にFMWで復帰しましたが、私は外様でしたので「FMW女子を良くしていこう」の気持ちは全くありませんでした。潮目が変わったのは同年8月4日、東京・レールシティー汐留大会です。

 豊田記代(後のコンバット豊田)とストリートファイトマッチで戦いました。私が負けましたが、試合後にマイクで「私はこれから正式にFMW女子として動いていきます」と発表しました。FMWに入ってからは豊田、天田(麗文)と「アウトブレイカーズ」というチームをつくりましたが、考えの違いが出てギクシャクしていました。そこで豊田と戦い、アウトブレイカーズではなく、FMW女子として戦うべきだと気持ちが変わっていました。豊田と一緒に戦うよりは、豊田とはたもとを分かった方がいい、という判断でした。

 大仁田さんから「お前らは好きなようにやってくれ。女子は女子で後悔がないように、やりたいことをやってみろ」と言われていましたので本当に自由でした。私には心地良く、今までやれなかったことをもう一回、このリングでやってみようと。やる気しかなく迷いはありませんでした。

 私は「乱入」という形でFMWに入ったので、もともとのファンからヒールとして扱われ、初めはブーイングを受けました。それでも大仁田さんは「今はそうだけど、いずれ変わるんじゃないの」と言われたことがあります。

 自由な空気の中でコスチュームのデザインも関わるようになりました。私はピンクと黒が好きなのでピンク、黒、白、シルバーの4色を基調にして作っています。何より試合ができることが楽しく、充実していました。自分では「プロレスができればいい」とだけ思っていたのですが、自分の知らない世界、芸能の仕事などが入ってくるようになりました。

 サインを書くことも仕事になってシリーズの合間の試合がない日も会社でずっと書き続け、多い時は800枚を書いたこともありました。全日本女子プロレスではビューティ・ペアさん、クラッシュ・ギャルズさんのようにリング上で歌のコーナーがあり、歌はスターの証拠でした。ですが、会社の方針で団体のスタイルを重視し、FMWでは「歌のコーナーは絶対にやらない」と。私にとってはありがたかったですね。歌が苦手で人前で歌えるレベルではなかったので(笑い)。

工藤(手前)は「プロレス大賞」授賞式でなぜか歌を披露(91年1月)
工藤(手前)は「プロレス大賞」授賞式でなぜか歌を披露(91年1月)
工藤(左)は「プロレス大賞」で旧交を温める蝶野正洋(右)とリッキー・フジ(中)を遠巻きで見つめる(91年1月)
工藤(左)は「プロレス大賞」で旧交を温める蝶野正洋(右)とリッキー・フジ(中)を遠巻きで見つめる(91年1月)

 90年の「プロレス大賞」MVPは大仁田さんが受賞されました。私も一緒に会場に行きましたが、なぜか壇上で歌を披露することに…。「ノー」が言えない〝全女かたぎ〟が出てしまい、Winkの「淋しい熱帯魚」を歌いました。でも会場では皆さん雑談されていて、私の歌に耳を傾けていた方は少なかったので助かりました(笑い)。

 

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