バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。ライバルで盟友だった故橋本真也さん(享年40)の恩師と、〝破壊王〟の思い出を振り返った。
小川氏は橋本さんが2005年7月に急逝してから、折に触れ破壊王が眠る岐阜・土岐市の墓所に墓参りしてきた。今回は橋本さんの柔道時代の恩師で父親代わりだった高塚正敏氏(高塚整骨院院長)の元を訪れ、秘話の数々を聞いた。橋本さんは少年時代からやんちゃだったが、高校を卒業してから新日本プロレスに入門しても変わらない。恩師の耳にまで、そのハチャメチャぶりが届いていたという。
小島聡や天山広吉ら後輩へのイタズラのほか、高塚氏はプロレスの師匠で憧れていた故アントニオ猪木さんに対しても「メキシコに行った時、武藤(敬司)さんと、蝶野(正洋)さんと、真也と3人で(猪木さんの)クレジットカードをめちゃくちゃ使って『怒られた』と言っていた」との逸話も披露。
さらに、前田日明氏や高田延彦氏が活躍したUWFから誘われた際にも、橋本さんから相談があった。高塚氏は「真也に言ったんです。『前田選手や高田選手は知名度もあってスター選手。お前の名前なんか誰も知れへんぞ。(新日本を)出て何すんだ? 今出ていくのは意味がないだろう』と。もうちょっと名前が売れてからならわかるけど、入って1、2年で出て行っても、すぐにやめて帰ってくるだけ」と新日本残留を強く勧めたという。
これにより、橋本さんはUWF移籍をやめたというから、恩師の影響力は大きかった。高塚氏も「一応、ひと通りのことは話してくれましたので」と話し、橋本さんから事あるごとに相談の連絡が入ったという。
2000年4月の新日本・東京ドーム大会で自身の引退をかけて小川と一騎討ちして敗れた翌日も、高塚氏と面会した。「昼間に、すごいイビキをかいて寝とった。起こして『めちゃめちゃいい試合やった』と言ったら、中華街に連れて行ってくれた。負けたことに対して吹っ切れたような感じでしたよ」と、引退を余儀なくされた破壊王の意外な様子を明かした。
師匠の猪木さんは小川氏を暴走王に育て上げ、破壊王を土俵際に追い込んだが、高塚氏は「橋本から猪木さんの悪口は1回も聞いたことがない。それこそ(新日本に)入ってからやめて、死ぬまでひと言も。あれの中の神様ですよ」とも証言。さらに「あいつから選手の悪口とか悪態を聞いたことがない。対戦する選手には尊敬の念を持っていた」と話すと、対照的に現役時代には人の悪口しか言わなかった元暴走王は「それは彼のいいところ」とシレっと言ってのけた。
破壊王が死去してから今年で20年。亡くなった当日を振り返った高塚氏は「お母さんの亡くなり方と全く同じですよ」と打ち明け、母親の死因も橋本さんと同じ「脳幹出血」だったという。
「(土岐市に)戻ってくるものだとばかり思っていたのに、急きょ亡くなって。大ショックでした」という恩師は「(存命なら今年で)60(歳)やねえ。でも、そのまんまやったと思いますよ。60になろうが、80になろうが。思うまま気の向くままで。それがあれのいいところ」と、愛情のこもった言葉で締めくくっていた。












